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Pick up Archi!! - 2018

国立台湾博物館

設計:野村一郎  竣工:1915年  所在:台湾・台北

日本統治時代の台湾に建設された最も歴史のある博物館である。正面中央に古代ギリシャのドリス式神殿風のエントランスを構え、左右にドリス式のジャイアントオーダーを並べた翼棟をのばし、中央にホールを置いて美しいステンドグラスを嵌めたドームを載せる。やや内部空間のプロポーションのバランスを欠くように映るが、グリーク・リヴァイバルの意匠とネオ・バロックのフォルムを兼ね合わせた昭和戦前期の美事な歴史主義建築の好例である。

フランクフルト工芸博物館

設計:リチャード・マイヤー  竣工:1985年  所在:ドイツ・フランクフルト

フランクフルト市内を流れるマイン川の河畔に建つ博物館で、モダニズムの巨匠として名高いリチャード・マイヤーらしいホワイトキューブのフォルムで建てられている。内部は大きな開口部から取り入れられた光で明るく清潔感があり、挿入された折返しのスロープで展示空間を接続する端正な空間が形づくられた美しい建築である。雑多なものを省いた純粋空間ともいうべき空間構成は、まさに現代建築のスタンダードたるたたずまいを魅せている。

土佐神社

建立:1567年  所在:高知県高知市一宮しなね2丁目

創立は古代にまで遡るといい、中世・近世には土佐国総鎮守一宮として深い崇敬を集めてきた古社である。現在の社殿は室町時代後期に戦国大名で高名な長曾我部元親が四国平定を祈念して建立したものと伝わる。本殿は入母屋造平入の寺院本堂を思わせる朱塗の軸部に華やかな蟇股を所々に配した鮮やかな造りとし、拝殿・幣殿は全体の形状を十字形をした「入蜻蛉」と言われる他に類例を見ない独特の形式を持つ勇壮な神社社殿である。

旧三省銀行

竣工:1882年  所在:佐賀県佐賀市柳町3

明治維新後、旧佐賀藩士が銀行類似業務を行う「三省社」として建てた明治時代最初期の社屋(1885年に銀行設立、1893年倒産)。開口部に鉄扉を備えた妻入の土蔵造とする重厚なたたずまいを持ち、中央には2層吹抜のホール、2階には片開きのドアを付けて張付天井にシャンデリアを吊るした和洋折衷の室を組み込んでいる。土蔵造による銀行建築の希少な現存事例であると共に地方における洋風建築の浸透・受容を伝える貴重な文化資産である。

葛西臨海公園展望広場レストハウス

設計:谷口吉生  竣工:1995年  所在:東京都江戸川区葛西臨海公園

葛西臨海公園内の駅からのびた園路に東京湾に面してゲートのようにガラスの壁を立ち上げた建築。内部の通路を鉄筋コンクリートの躯体で支持し、これを方立により固めたガラスのカーテンウォールを被せるという、一見して支持する構造体が見えない極めて透明性の高い表現で魅せている。まるで模型が立ち上がったかのような華奢なフォルムをさることながら、これを実現させた構造家・木村俊彦による技巧性に富む構造技術にも注目したい。

太山寺本堂

建立:1305年  所在:愛媛県松山市太山寺町

四国八十八ヶ所巡りの第52番札所として高名な古刹である。梁間7間・桁行9間に及ぶ大規模な寺院建築で、和様を基本に虹梁や挿肘木に大仏様の手法を併用した折衷様でこれをまとめている。その大架構は、まさに中世における建築技術の発展を如実に示したもので、さらに組物(出組)の左右の巻斗に対して垂木を6本配列する「六枝掛け」による枝割を採り、中備に蟇股を配することにも当時代の建築的特質を垣間見ることが出来る。

熊本県立美術館

設計:前川國男  竣工:1976年  所在:熊本県熊本市中央区二の丸

各地に多くの美術館を設計した前川國男にあって代表作の1つとして知られる。雁行させ、かつ階段で少しずつ高めたアプローチで来館者を誘い、赤褐色の打込みタイルによる落ち着いた佇まいと低く抑えられた箱型のプロポーションは、その内部で高低差を巧みに活かし、広く構えられたロビーを通じて展示室へと導かれる。断面方向の積層したボリュームも介して、「一筆書き」の明快な動線が複層的に織り成された構成が秀逸である。

高山陣屋

竣工:1816年(改築)  所在:岐阜県高山市八軒町

飛騨高山における郡役所・郡代役宅の遺構で全国で唯一現存する天領の陣屋跡である。陣屋らしい豪壮な構えを持ちながら多くを熨斗葺(檜皮葺)として品格を湛えた建築群をなし、正面に郡役所、後方に郡代役宅を置く。郡役所は事務を掌る「御役所」、3つの座敷が続き間で連なる「大広間」、裁判を行う法廷である「吟味所・御白州」の大きく3つの機能からなり、役所と裁判所を兼ねた近世期の陣屋という特有の構成を今に伝えている。

島根県第三分庁舎(旧島根県立博物館)

設計:菊竹清訓  竣工:1958年  所在:島根県松江市殿町

戦後モダニズム建築の良品が多い島根県庁を中心とした一画に建つ博物館。水害の多い風土から骨組構造で支持する展示室の上部に可動式のルーバーウォールで自然採光・自然換気に対応し、かつ折板構造で大空間とした収蔵スペースを掲げる構成とし、これを「ざしき」と「くら」という伝統的な日本建築のコンセプトで設計した。原形を最大限考慮した耐震改修が施されて継続的に活用されており、数ある戦後モダニズムの中でも優れた名作といえる。

厳島神社

建立:1571年(本殿)、1241年(拝殿ほか)  所在:広島県廿日市市宮島町

宮島の弥山北麓に鎮座し、平安時代に平家の氏神として殊に平清盛から厚い崇敬を集めたことで知られる古社である。寝殿造を応用したとされる社殿は高床として海中に建つ他に類を見ない形態を持ち、その明媚な美しいたたずまいは高さ16mの大鳥居と相まって国内有数の知名度を誇る。後年の再建となる本殿は、桁行9間に及ぶ広壮さもさることながら、後方にも庇を伸ばした「両流造」と呼ぶ独特な本殿形式を採ることにも注目できる。

大阪府知事官舎(現・大阪府公館)

設計:大阪府営繕課  竣工:1923年  所在:大阪府大阪市中央区大手前2丁目

大阪府庁舎後方に建てられた府知事官舎(一般に公舎は戦後からの呼称)。鉄筋コンクリート造2階建の本館は、深い軒庇に瓦葺の勾配屋根を載せるが、装飾が乏しい簡素なたたずまいで後のモダニズム建築を先取る意匠を持つ。改装されて内部に往時を知ることは難しいが、1階が接客、2階が居住で構成されたと見られる。西側にモルタルで覆われた続き間の座敷があり、赤松の床柱などの良材を用い、座敷飾に近代和風らしい特有の構成が認められる。

首里城

竣工:14世紀末、1958年(守礼門)、1992年(正殿ほか/再建)  所在:沖縄県那覇市首里

琉球王朝における政治の中枢かつ王家の居所となった城郭。琉球石灰岩の本あいかた張による石垣を外郭と内郭で二重に築き、奉神門、正殿、南殿・書院、北殿で囲んだ一画を中心とする構成を持つ。建物群は木造で建て、とりわけ造りそのものは日本の伝統建築のディテールを持つが、軸部を朱塗として屋根の棟に龍を載せ、組物などの鮮やかな色彩の配色などに中国文化からの影響も受けた日中混淆になる独自の建築文化が認められる。

さくら広場(幕張)

設計:安藤忠雄  竣工:2006年  所在:千葉県習志野市芝園

大手電機メーカーにより環境・地域に還元する目的で、社有地にソメイヨシノ505本を整然と植樹した「桜一色」の公園。せせらぎを流し、所々に小池や東屋を設けて園内を彩り、北西には噴水のある大きな池を浮かべ、ここを小高く盛り上げて下にトイレを備えている。ここから見下ろした園内はまさに「ピンク色の海」と呼ぶにふさわしい光景が広がっている。

ホキ美術館

設計:日建設計  竣工:2010年  所在:千葉県千葉市緑区あすみが丘東

写実絵画専門の美術館で、湾曲させたチューブ状のギャラリーをずらしつつ積層させたフォルムを持つ。ギャラリーの1つを鉄骨造のキャンティレバーで先端30mを宙に浮かせる造りとして、敷地の高低差を活かして構造美を魅せるデザインとしている。ギャラリーは明暗を活かしたドラマティックな空間演出がなされ、照明や音響、空調まで密度高く周到に設計されており、デザインとエンジニアリングが高度の水準で統合された名建築である

一乗谷朝倉氏遺跡・朝倉館跡

所在:福井県福井市戸ノ内町ほか

戦国期に越前国(現在の福井県)を治めていた戦国大名・朝倉氏が築いた城下町の遺跡の中にあって朝倉家当主が住んだ居館跡。正面に構えられた唐門は江戸時代中期頃に再建されたもので、その奥に朝倉館の礎石が並び、池と石組になる庭園がある。常御殿を中心に中庭の花壇を囲むように主殿・会所・数寄屋を配した一画を中心とする平面構成で、後に書院造が形成されるようになる中世における過渡期の様相を伝えており、主殿造とも呼んでいる。

花と緑の文化館

設計:飯田善彦  竣工:2000年  所在:千葉県印西市原山

千葉県立北総花の丘公園内に所在する休憩所を兼ねた展示室・図書室などからなる複合文化施設。中心となるのは19本の柱で支持した大屋根の下に構えられたアトリウムで、ここから図書室や展望室、多目的室が放射状に並べられた平面構成である。アトリウムは四方をガラスカーテンウォールとすることに加えて、屋根面もガラス張りとして天井をFRPグレーチングとした透明度の高い開放的な空間としている。

旧集成館機械工場(現・尚古集成館)

竣工:1865年  所在:鹿児島県鹿児島市吉野町

薩摩藩第28代藩主・島津斉彬が始めた集成館事業の一環として、これを引き継いだ島津忠義が建てさせた機械工場。長崎の洋式建築を見た日本人大工によるものという溶結凝灰岩による組積造建築であり、アーチ、錬鉄製のサッシュ、キングポストトラス(洋小屋)の使用などが国内初の採用事例として知られる我が国近代化の記念碑的建築である。車寄せのアーチや末広がりのバットレスなどに往時の組積造に対する理解の高さを読み取れよう。

日南市飫肥伝統的建造物群保存地区

城下町整備:1587年  所在:宮崎県日南市飫肥

酒谷川で東・西・南の3方を囲んで北の丘陵に飫肥城を構えた、戦国大名・伊東祐平から後に伊東氏14代が治めた飫肥藩の城下町である。東西軸の横町型に分類される町割で、武家町らしい石塀の並ぶ町並の中にかつての武家住宅や藩校、さらには洋風の医院まで江戸から昭和・平成に及ぶ家々が点在してその景観を織りなしている。九州初となる重要伝統的建造物群保存地区2年目の1977年に選定を受けた国内を代表する歴史的な町並としても有名。

旧一条恵観山荘(止観亭)

竣工:1646年  所在:神奈川県鎌倉市浄明寺

後陽成天皇の子で、一条家の養子となって関白・摂政を務めた一条昭良 (恵観) が京都・西賀茂の一条家別邸内に離れとして建てた山荘。1959 (昭和34) 年に宗徧流十世家元・成学宗囲が譲り受けて鎌倉に移築し、さらに1987 (昭和62) 年に現在地に移して御幸門の再現や金森宗和好みという庭園が復元された。内部は瀟洒な数寄屋風書院の意匠を持つが、外観は茅葺屋根の農家を思わせる素朴なたたずまいとしており、桂離宮に並ぶ貴重な遺構と伝わる。

くらよしフィギュアミュージアム(旧倉吉市立明倫小学校円形校舎)

設計:坂本鹿名夫(改修:井手添建築設計事務所)  竣工:1955年/2018年改修  所在:鳥取県倉吉市鍛冶町

市内にフィギュアメーカーの工場があることをきっかけに、解体危機にあった円形校舎をミュージアムにコンバージョンした。エントランスを増築し、方角で採光に偏りのあった扇型教室はこれに影響のない展示室となり、中央の螺旋階段は防火シャッターが付き、加えて防煙区画のガラススクリーンを嵌めて周囲に鉄骨柱の補強を加え、さらに一画にエレベーターが挿入されるなど各所に変更はあるが、往時の趣を尊重した改修が巧みになされている。

和歌浦天満宮

建立:1606年(本殿)  所在:和歌山県和歌山市和歌浦西

和歌浦は古く奈良時代には風光明媚な地で知られ、大宰府に左遷される菅原道真がここで和歌を詠んだことから創建されたと伝わる。現在の社殿は豊臣秀吉の兵火(1585年)の後に再建されたもので、拝殿を持たない入母屋造平入の本殿だけからなり、彫刻を散りばめて極彩色による鮮やかな装いは近世期特有の趣を示している。境内には、いずれも極彩色になる優美な小社である多賀神社と天照皇太神宮豊受大神宮の末社も鎮座している。

養老天命反転地

構想:荒川修作+マドリン・ギンズ  竣工:1995年  所在:岐阜県養老町高林

アーティストの荒川修作と詩人のマドリン・ギンズによる30年来の構想を実現した体感するアートとしての公園施設。岐阜県の形をした屋根を掛け、迷路状の空間が広がる内部に切断された家具が散りばめられた「極限で似るものの家」と凹凸の連なる擂鉢状の空間に様々なアートが点在する「楕円形のフィールド」を中心とする。25年の年月で植生が繁茂して一体化した自然とアートは、身体・感性という点でこれが1つになることを思索する。

坂木宿ふるさと歴史館(旧春日邸)

竣工:1929年  所在:長野県植科郡坂城町坂城

北国街道の坂木宿本陣のあった位置にあり、長屋門はその遺構と伝わる。後に春日家の所有となり1929 (昭和4) 年に建てられたのが本宅である。玄関脇の洋館は増築といい、後方に平家建で配した和館部分が主な接客空間である。階段が洋館の裏側に置かれ、2階各室は1階に比べて天井が低く、かつ中廊下とするもので、ここが居住空間であった可能性がある。良材を用いていることと合わせて昭和戦前期の近代和風建築らしい趣を湛えている。

徳島県郷土文化会館

設計:西山夘三  竣工:1971年  所在:徳島県徳島市藍場町

大ホールや展示室、会議室から構成される施設で、「食寝分離」を提唱したことで名高い西山夘三が設計した希少な建築作品。大空間を内包するために四隅にコアも組み込んだメガストラクチャーとしてこれを建て、3階より上階をカーテンウォールで覆った無骨なたたずまいを持つ。東側の塔状に突出させた階段室に渦潮を思わせる渦巻文様と亀甲文様をあしらい、また、味わい深い茶褐色をしたタイルを用いるなどディテールにも注目できる。

高知城 天守・本丸御殿

竣工:1747年  所在:高知県高知市丸ノ内1丁目

高知の町並を見下ろす山内家が治めた往時を忍ばせる天守の遺構である。全国でも希少な江戸期に建てられた天守の現存事例であり、4層6階建とした独立式望楼型の形式を持つ。これに併設して本丸御殿の遺構も残す唯一の城郭であることが特筆できる点で、床・棚・付書院に武者隠しを裏に配した帳台構を持つ上段ノ間に続いて、二ノ間から四ノ間まで連ねる厳格な書院造の殿舎構成を今に伝える貴重な歴史的建造物である。

旧岩科学校校舎

設計:菊池丑太郎・高木久五郎  竣工:1880年  所在:静岡県賀茂郡松崎町岩科北側

伊豆半島南西の松崎町中心部よりやや離れたところに所在する伊豆地方最古の小学校校舎。左右対称のコの字型平面をして白漆喰で塗り込めて腰を海鼠壁とした厳格なたたずまいを持ち、これにオーダー状の柱、アーチ型の開口部、ベランダを持ち合わせた擬洋風建築の好例である。2階西側の「鶴の間」には、入江長八の作という小壁に青空に舞う鶴が漆喰装飾で描かれ、朱・緑青の色漆喰を施した座敷飾もあり本作を鮮やかに彩っている。

旧グラバー住宅

設計:不詳  竣工:1863年  所在:長崎県長崎市南山手町

幕末の長崎で活躍した事業家T.B.グラバーが南山手の高台に築いた邸宅で、国内最古の木造洋風建築として知られる。アーチを伴った開口部やキーストーン状の飾り、暖炉などを備えつつ、重厚な瓦屋根を載せており、和洋ないしは軽重が混然とした独特の姿形をしている。加えて奥行の広いのベランダを周囲に巡らしてコロニアル様式の特質を持つが、その格子天井が緩やかに湾曲していたりとディテールも趣向に富んでいる。

旧第四銀行住吉町支店

設計:長谷川龍雄  竣工:1927年  所在:新潟県新潟市中央区柳島町

みなとぴあ (新潟市歴史博物館) 敷地内に移築保存された銀行建物で、レストランや会議室として活用されている。中央部分こそイオニア式のジャイアントオーダーを並べてネオ・バロック様式を基調としているが、左右に伴われたルスチカ積の基壇に切石積を重ねた3層の壁面部分は古典的な装飾性を抑えたもので、セセッションに通じる建築意匠を纏う。銀行建築としての厳格さと新たな建築潮流によるデザインを巧みに組み合わせたものである。

大山祇神社

建立:1427年  所在:愛媛県今治市大三島町宮浦

瀬戸内海に浮かぶ大三島の西岸に鎮座し、大山積神を祀る山神社の総本社である。広大な境内にあって東西軸に参道を通し、社殿は西面する形で拝殿、そして後方に本殿が建つ。拝殿は間口で7間に及ぶ広大な素木造のもので正面中央に1間幅の向拝を持つ。本殿は丹塗とした軸部に檜皮葺とした3間社流造で外陣・内陣の床高が際立って異なることに特色が認められる。拝殿・本殿ともに広壮であり、その荘厳さが当社の集めてきた崇敬の深さを物語る。

山梨県庁舎別館(旧本館)及び県議会議事堂

設計:佐野利器(関与)  建立:1930年  所在:山梨県甲府市丸の内

山梨県政のシンボルとなる2代目の県庁舎・議会堂である。1923(大正12)年の郡制廃止に伴う職員増加に対応するために清水建設の施工により建設されたもので、当時副社長にあった佐野利器が設計指導に関わったと伝わる。県庁舎・議事堂共に左右対称形の平面形状で茶褐色をしたスクラッチタイルを全面的に纏ってテラコッタで装飾し、さらに軒先や庇に「山」の字をあしらった瓦葺をして昭和戦前期に流行した日本風を加味した意匠を有する。

下郷町大内宿伝統的建造物群保存地区

開宿:1643年頃  所在:福島県南会津郡下郷町大字大内

会津若松と今市を結ぶ会津西街道(下野街道)に開かれた宿場町。会津藩の参勤交代の駅として栄えたが、自然災害等の理由で道中が変わったことで地位は下がり、さらに明治~昭和戦前期の道路開通・鉄道敷設からも取り残された。結果的に過度な近代化の影響を被らなかったことで、茅葺の寄棟屋根が連なる宿場町の町並が極めて良好な形で継承され、戦後の高度経済長期に見出されたことで全国有数の歴史的な町並として知られるようになった。

旧三井銀行小樽支店

設計:曾禰中條建築事務所  竣工:1927年  所在:北海道小樽市色内

「北のウォール街」とも呼ばれた小樽の金融街に建てられた銀行建築。鉄筋コンクリート造の躯体を花崗岩で覆った重厚なたたずまいだが、ファサードは大ぶりなアーチを並べてエンタブラチュアを持送りで掲げた開口部を持ち、オーダー用いずに雷紋の帯やコーニス・デンティルといった軒周りの装飾で全体を壮麗に彩ったフリークラシックになる昭和戦前期らしい構成である。現在は銀行支店の役割を終えて観光施設として活用されている。

旧第13師団長官舎

設計:加藤栄太郎  竣工:1910年  所在:新潟県上越市大町2丁目

​陸軍第13師団創設の後にほどなくして建てられた『坂の上の雲』で有名な秋山好古も一時暮らしたという師団長官舎の遺構。オーダーとペディメントを用いて古典主義様式をベースにして全体を下見板張で纏った洋風住宅で、1階は各部屋のシーリングメダリオンを異なる意匠とする瀟洒な洋室、2階は全体的に和室として各階背面にサンルームを持つ。後に大正時代に生じるようになる洋館単棟の構成の先駆的な事例と認められる貴重な文化資産である。

保性館幽泉亭

設計:川島徳次郎  竣工:1931年  所在:島根県松江市玉湯町玉造

山陰随一の知名度を誇る玉造温泉を代表する老舗旅館・保性館にて皇族専用の宿泊棟として建てられた。二層に重ねた軒の出の深い庇を巡らせて、庭園側に向けて引戸のみならず戸袋までをもガラス製にした透明度が高く軽やかで優雅なたたずまいを持つ。内部は桑を欄間に大胆に用いるなど多種多用な銘木が散りばめられた昭和戦前期の近代和風建築らしい趣を持ち、特に松本間の杉材による室一面に及ぶ大面の鏡天井は息をのむ圧巻の造作である。

TOYAMAキラリ

設計:隈研吾・RIA・三四五建築研究所  竣工:2015年  所在:富山県富山市西町

百貨店跡地に建てられた銀行・図書館・美術館が入る複合施設。アルミ・ガラス・御影石を角度をつけて割り付けて立山連峰の山肌を投影したというファサードはモザイクアートを思わせる。内部は6階までに美術館・図書館による公共空間を内包し、「スパイラルボイド」と呼ぶ吹抜で一体的・連続的な空間とするが、このダイナミックな構成を成り立たせるための構造・防災設備はハイレベルなものである。その建てられ方に注目して見築してほしい。

千田正記念館(旧岩手県知事官舎洋館、千田正家住宅主屋・板倉)

竣工:1909年(官舎)、1930年(主屋・板倉)  所在:岩手県胆沢郡金ヶ崎町三ヶ尻

参議院議員、岩手県知事を務めた郷土の偉人・千田正(1899‐1983)を顕彰する文化施設。「和洋館並列型住宅」であった岩手県知事官舎の洋館部分を移築し、洋館単棟の形式として内部を全面的に和室とした昭和戦前期の特有の構成を持つ千田家の主屋ならびに穀物倉庫として用いられた板倉の3棟から構成される。小規模ながら近代日本住宅史の変遷が凝縮された装いは、地方における近代化の受容のあり方を示す点でも学術的に注目できるものである。

ハルビン・中央大街(キタイスカヤ)

街区形成:1903年  所在:中国・ハルビン

​ロシア帝国が東清鉄道を敷設し、その要衝として街区が形成されたハルビンにおいて、ハルビン駅と松花江を結ぶ通りにロシア人によって築かれた全長約1.5㎞に及ぶ商業街。街路樹が立ち並び、石畳が敷かれた道幅約21mになる通りにネオ・バロック、アール・ヌーヴォーになる歴史的建造物が途切れることなく軒を連ねる景観は圧巻である。日本でいう銀座に近い街路であるが、今見る姿が大きく異なることに日本と中国の文化の違いが見て取れよう。

新宿御苑・旧御凉亭(台湾閣)

設計:森山松之助  竣工:1927年  所在:東京都新宿区内藤町新宿御苑内

​裕仁親王(後の昭和天皇)の御成婚を記念して、当時日本統治下にあった台湾在住の官員有志からの寄付金で御苑内中央の池泉に臨む形で建てられた休憩所である。強い反りを持たせた棟、内部を全面的に四半張の敷瓦とし、中国風の丸窓や優美な曲線・彫刻をもつ組物、装飾的にあしらわれた格天井、各所に施された精緻かつ華美な彫刻装飾など台湾総督府技師であった森山松之助の設計による本格的な台湾式の建築としてデザインされている。

鳴門市市民会館

設計:増田友也  竣工:1961年  所在:徳島県鳴門市撫養町南浜

体育館と公会堂の両機能を併せ持つ多目的施設-まさに「市民会館」と呼ぶに相応しい施設で、同じ増田友也の設計で2年後に建てられた市庁舎とブリッジで繋がれて隣接する。鮮やかなブルーに塗装された建築は鉄骨造で建てられ、折板構造を併用して大空間を実現している。一見、工場を思わせるような出で立ちだが、市庁舎がRC造で似通わせたデザインとすることで豊かな空間が醸成されており、本作への増田独自の設計理念が垣間見える。

高田本山専修寺

棟梁:江戸坂本三左衛門ほか  建立:1679年(御影堂)、1748年(如来堂)ほか  所在:三重県津市一身田町

浄土真宗の一派となる真宗高田派の本山である。1645(正保2)年の大火で伽藍焼失の後に全国の現存木造建築でも5番目の大きさを誇る堂として建てられた御影堂、後に建てられた禅宗様を下地に近世期の特色をよく示す精緻な彫刻を備えた如来堂の両堂を中心に山門(1704年)、唐門(1844年)、太鼓門(1762年頃)の3つの門ならびに御対面所(1786年)や御廟拝堂(1858年)など多くの歴史的な堂宇が点在する豪壮な境内が織りなされている。

安芸市土居郭中伝統的建造物群保存地区

町並形成:江戸時代初期  所在:高知県安芸市土居郭中

中世の豪族・安芸氏の築いた城地を基に江戸時代にここを治めた山内家重臣・五藤家によって築かれた城跡と町並が残る。一般的な城下町と異なり、安芸城と五藤家屋敷を中心に周辺近隣は家臣の武家屋敷のみが構えられたことから、町家のない石積や生垣による塀が巡らされた落ち着きのある町並景観が広がっている。また、その入口にあたる位置に地主・畠山源馬が1887(明治20)年頃に手作りで建てた「野良時計」があることでもよく知られている。

鬼子母神堂

建立:1664年(本殿)、1700年(拝殿)  所在:東京都豊島区雑司ヶ谷

池袋に近い雑司ヶ谷の地にて安産ならびに子どもの息災・福徳を掌る鬼子母神を祀り、厚い崇敬を集めてきた古社である。社殿は拝殿と本殿を幣殿で繋いだ権現造によるもので、向拝に掲げられた龍、木鼻に配された唐獅子、入母屋屋根の破風に挟み込まれた邪鬼など、控えめではあるが近世期特有の精緻な彫刻を纏った社殿である。震災・戦災を被ってきた東京23区内の神社社殿としては屈指の古さをもつ貴重な文化遺産である。

日本水準原点標庫

設計:佐立七次郎  竣工:1891年  所在:東京都千代田区永田町1丁目

かつて陸地測量部が置かれた現在の国会前庭に設けられた日本の標高の基準となる「水準原点」を収めた倉庫である。極めて小規模な石造建築で、正面・背面にその意匠を象徴をするペディメント・エンタブラチュア・オーダーをポルチコとして備える。正面のオーダーはトスカナ式オーダーの独立柱、背面はピラスターとしていることにローマ神殿風の装いをもつが、左右の屋根が水平になるなど細部の納まりに拙い箇所が認められる。

聖クララ教会(与那原カトリック教会)

設計:片岡献  竣工:1958年  所在:沖縄県島尻郡与那原町

沖縄本島南西部の与那原町にある修道院が併設されたキリスト教会堂である。沖縄らしい鉄筋コンクリート造で建てられた教会堂は西側に内陣を向けた東西に細長い形状で、ちょうど教会内部で境となる箇所を谷としたバタフライ屋根を架ける。教会内部は梁が配列された片流れの天井をもち、建築の形状がそのまま内部空間となって表れていて全面的にステンドグラスとした北面からは天空光による柔らかく穏やかな光を教会内部に行き渡らせている。

木幡家住宅「飛雲閣」

設計:川島徳次郎  竣工:1902年  所在:島根県松江市宍道町宍道

江戸時代に宍道の地で本陣を務め「八雲本陣」で呼ばれる旧家・木幡家において、1907(明治40)年の嘉仁皇太子(後の大正天皇)山陰巡啓で行在所となった建築である。10畳の御座所と9畳の次の間の2室からなる小規模な建築だが、四方柾の柱など全面的に木目の通った良材の松(例外的に床の落掛けは桐)で建て、張付壁の床・床脇をもち、際立った天井高さとも相まって格式ある書院造の構えとしてまとめられた「近代和風建築」の逸品である。

港区立郷土歴史博物館等複合文化施設「ゆかしの社」(旧公衆衛生院)

設計:内田祥三  竣工:1938年  所在:東京都港区白金台

公衆衛生の改善・向上のための調査研究期間であった旧公衆衛生院を博物館、カフェ、子育て・福祉施設などへとコンバージョンした複合文化施設。スクラッチタイルを纏い、バットレスを配した「内田ゴシック」と呼ばれる歴史主義建築を下地にした威厳あるたたずまいで、建築家・内田祥三が手掛けた東京大学の学舎群と同一の建築意匠をもつ。歴史的建造物改修では国内有数の規模の施設であり、これに踏み切った英断は末永く評価されていくだろう。

ジョンソンタウン

竣工:1938年~  所在:埼玉県入間市東町

陸軍飛行場航空士官学校分校の開校に伴い、その将校が生活する官舎(日本家屋)が建てられたことに始まり、戦後アメリカ軍に接収されてジョンソン基地となったことで米軍ハウス群が建てられてアメリカ西海岸を思わせる洋風住宅街が形成された。返還後に荒廃が進んだが、およそ15年前より修繕が重ねられ、また「平成ハウス」と呼ぶ新築建物を建てて街並景観を整え、現在に見る住宅や店舗等が並ぶ特色ある街区空間が織り成されるようになった。

農林水産省三番町共用会議所別館

設計:大江宏  竣工:1954年  所在:東京都千代田区九段南2丁目

農林水産省が所管する会議所に「大臣室」や「日本間」などを内包する「別館」となってきた建築で、東から南側にかけて巡らされたバルコニーに華奢なコンクリート円柱が並ぶ落ち着いたたたずまいをもつ。打放しコンクリートの打設や左官仕上げなど造作の1つ1つは丁寧で、特に日本間の内装は伝統とモダンが見事に取り合わされている。芝庭(洋式庭園)と池泉庭園の和洋を並列した旧山縣有朋邸の庭園が現存することも注目できる。

龍門貴賓楼酒店

竣工:1903年  所在:中国・ハルビン

シベリア鉄道の短絡線として敷かれた東清鉄道の要衝地・ハルビンの駅前大通りに建てられた中東鉄路賓館を前身とする日本統治下では満鉄直営のヤマトホテルとなるなどを経て、ハルビン随一のクラシックホテルとして現在に至る。ロシアの歴史主義建築に散見する鮮やかなクリーム色に塗られた外壁に加えて有機的な曲線から表現されたアール・ヌーヴォーを受け継いだ装飾を纏った格調高い逸品である。

旧古河家別邸・東館「聴漁荘」

竣工:1925年  所在:神奈川県大磯町西小磯

不平等条約の解消に多大な貢献を果たしたことで知られる陸奥宗光が1894(明治27)年に構えた別荘を前身とし、死後に古河家の所有となる。関東大震災での被災後に古河虎之助が建て替えて「聴漁荘」と名付けられた。全体的に数寄屋風書院の設えで、例えば応接間だけでも大径の磨き杉丸太の床柱、竹の落掛け、辛夷・桜の琵琶台、桐の床天井、付書院の欅天板、栂の長押…と種々の銘木を用いた近代和風建築らしい造作が美事である。

村田町村田伝統的建造物群保存地区

所在:宮城県柴田郡村田町村田

江戸時代に紅花交易で栄えた歴史をもち、今も往時の栄華を伝える町家が軒を連ねる。「蔵の町並み」と呼ばれるように現存する歴史的な町家の多くは土蔵造による見世蔵(店蔵)。下屋庇をのばした切妻平入を基本形として、町家ごとに2階を観音開扉窓としたり、海鼠壁としたり、漆喰壁も白・黒とバラエティに富む。短冊形敷地に建ちながらも見世蔵の片脇に門を構えるのが特徴で、広い間口をもつ豪壮な屋敷構えにより町並が彩られている。

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