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Pick up Archi!! - 2023

別子銅山記念館

設計:日建設計  竣工:1975年  所在:愛媛県新居浜市角野新田町3丁目

国内最大級を誇った別子銅山の閉山を機に歴史と意義を後世に伝えるために設けられた企業博物館である。建築全体を大面の片流れ屋根で形成し、内部の展示室をスキップフロアで接続することで大空間を巧みに活かした構成とする。別子銅山の北麓に位置し、その山裾に建つコンテクストが屋根形状に投影されており、ここに植栽(ツツジ)を施して風景への埋設を試みている。まさに「負ける建築」の先駆的好例であろう。

旧脇町立図書館

:神戸大学重村研究室+いるか設計集団  竣工:1986年  所在:徳島県美馬市脇町大字脇町

卯達を掲げた町家が建ち並ぶ脇町の伝建地区内に建つ旧図書館。農業倉庫をはじめとした複数の既存建物に新築部分を加えて一体的に形成しており、既存の路地と中庭で敷地南北の街路と接続する複雑な形状をもつ。町並のコンテクストに倣いながら、それでいて確かにデザインされた装いは、国内でのリノベーションの先駆的事例の1つであり、ポストモダニズムを代表する建築である。2017年に閉館され、現在は未利用。

高知県立文学館(旧高知県立郷土文化会館)

:M.A設計事務所  竣工:1969年  所在:高知県高知市丸ノ内1丁目

高知城東隣に座した高知藩主・山内家を祀った藤並神社の跡地(戦災焼失/1970年山内神社に合祀)に建てられた文化会館で、1997年より文学館となって今日に及ぶ。城址に隣する敷地特性から全体を乱石貼りとした天守台を彷彿とさせる形状とし、中庭には高知の土蔵に特有の水切瓦をもつ漆喰壁に模した壁面で囲う。伝統論争の後発とみるか、それともコンテクスチュアリズムの先駆けとみるか…興味深い逸品である。

聖福寺

建立:1697年(大雄宝殿)、1703年(山門)ほか  所在:長崎県長崎市玉園町3丁目

江戸時代の対外貿易を担った長崎の地にて華僑たちによって創建された「唐三か寺」に次ぎ、日本に黄檗宗を伝えた隠元の孫弟子・鉄心道胖が1677年に創建した寺院である。長崎市街の山麓に境内を築いており、雁行した参道に合わせ堂宇が配される。最奥に位置する中心堂宇が大雄宝殿で、入母屋造平入で前一間通りを吹き放つ構成は小規模だが大本山・萬福寺と同型。前一間通りに黄檗天井を採ることにも注目したい。

旧第二十三国立銀行本店(現・大分銀行赤レンガ館)

設計:辰野金吾・片岡安  竣工:1913年  所在:大分県大分市府内町2丁目

大分市の中心市街に建つ大分銀行の本店を担ってきた建築。辰野金吾の設計でJR東京駅の前年に建ったこともあり、小口積みのレンガ壁面に御影石でストライプを添え、オーダー等の古典装飾を纏ったいわゆる「辰野式」の意匠をもつ。戦災で外壁を残して内部を失い、戦後にRC造で柱・梁を構築して使用が続けられた経緯があり、銀行の後に商業施設としてリニューアルする際にこれらをあえて魅せる改修が施されている。

明治神宮ミュージアム

設計:隈研吾(担当:名城俊樹ほか)  竣工:2019年  所在:東京都渋谷区代々木神園町1丁目

明治神宮南参道脇に建つ「新宝物殿」である。鉄骨造の躯体に勾配屋根を架ける根津美術館をはじめとする他の博物館施設と共通するボキャブラリーで構成するが、入母屋屋根としてスパンを短くして柱径をスレンダーにすることで木造に近いプロポーションをなし、数寄屋建築に通底する装いを獲得している。マテリアルを纏わず、あえて削ぎ落した透明性の高い装いは、明治神宮に通じる気位と清廉さが醸し出されている。

熊本大学学生会館(東光会館)

設計:野中卓/野中建築事務所  竣工:1966年  所在:熊本県熊本市中央区黒髪2丁目

熊本大学黒髪北地区の南西側に建つ学生会館として使用される学舎。南北に雁行状に2棟を並べ、RC造打放し仕上げのラーメン構造による矩形をした建築は戦後昭和の空気をよく醸している。漏斗状に窪めたユニットの連続、折板の谷を中央で反転して隆起させた形状というRCシェルで2棟の屋根形状を違えていることが最大の特徴である(野中建築事務所も漏斗状のRCシェルを4つ連続させた本作と同じ屋根形状をもつ)

宮崎県庁舎本館

設計:置塩章  竣工:1932年  所在:宮崎県宮崎市橘通東2丁目

宮崎県の2代目庁舎として現役稼働しているリビングヘリテージ。庁舎建築によく採られる2つの中庭を置いた日の字型プランで、バットレスを並べてゴシック・リヴァイバルを基調にしながら、アール・デコの造形とスクラッチタイルを纏い昭和初期の流行がよく認められる。設計を担った置塩章は兵庫県技師の経歴から神戸を拠点にしたが、全国に公共建築を手がけた。旧茨城県庁舎(1930年)が「兄弟」でよく似ている。

馬場家住宅

竣工:1851年(主屋)、1859年(表門)、1845年(文庫蔵)など  所在:長野県松本市内田

松本市東南部、北アルプスを臨む農村に建つ古民家で、築地塀・土塁で敷地を囲む豪壮な屋敷構えは武家出身という当家の格式をよく伝えている。敷地中央に西面して建つ主屋は、切妻屋根を架けた平入形式の長野県南部によく見る本棟造の代表的遺構だが、正面性の強い形態ゆえ南側を重視しない、囲炉裏・カマドを置く板間の直上に越屋根を置けない…など、他の民家形式と性格を違える非合理性が見られ、興味深い。

寶山寺聖天堂

建立:1877年  所在:奈良県生駒市門前町

寶山寺の鎮守、大願成就(特に商売繁盛)の守り神として歓喜天を祀る。現在の堂宇(中拝殿・天堂)は1877(明治10)年の建立で、従来の拝殿(外拝殿)を中拝殿前方に接続させたことで八棟造に類される建築形態に及んでいる。特に二重の破風に唐破風を重ねた特異な屋根形状は大滝神社(越前市)に比肩する優美な造形である。宝形造の聖堂を後方に置く形態は神社社殿と近く、神仏習合の名残を強く残している。

旧古井家住宅

竣工:室町時代後期  所在:兵庫県姫路市安富町皆河

「千年家」と呼ばれる国内最古級の民家の遺構。軒高が低く、大壁で開口部が少ない上に小さく、さらに縁側を持たずに下家を室内化した上に接客の用途を担うハレの室は「おもて」として一室で構成して畳を敷かずに座敷飾をもたないなど、大きな土間と床上部で二分して構成することの基本の他に後の江戸時代の民家に多くみられる要素が見られない。言い換えれば、これらの要素が民家の原初形態の特質なのである。

旧横須賀鎮守府司令長官官舎(現・海上自衛隊横須賀地方総監部田戸台分庁舎)

設計:桜井小太郎  竣工:1913年  所在:神奈川県横須賀市田戸台

街と海を見下ろす高台に建つ、かつて横須賀鎮守府において司令長官官舎であった建築​。チューダー様式を思わせる洋館に和館を併設した「和洋館並列型住宅」で、和洋館を東西軸での並列配置とするが、北入りのアプローチに対して背面を見せるのは特異。南側の庭園に和洋館を前面させることを重視したことによるもので、和館2階を客座敷とし1階を居住空間とするのと併せて平面構成の合理化の兆候がうかがわれる。

旧第8師団長官舎(現・スターバックス コーヒー 弘前公園前店)

設計:櫛部宇一  竣工:1917年  所在:青森県弘前市上白銀町1丁目

かつて弘前に設置されていた陸軍第8師団の師団長官舎であった建築である。創建時は近隣の市役所広場の場所に所在したが、現在地に曳家され、カフェとなって今日に至っている。元々は「和洋館並列型住宅」で和洋館を併設したが、曳家の折に和館部分を解体し、さらに内部の平面構成を改変して、客座敷・次の間の続き間座敷を組み入れるなど改変が施されている。戦前の高官官舎の保存改修事例の好例である。

旧府中郵便取扱所(旧矢島家住宅)

竣工:1872年まで  所在:東京都府中市南町6丁目(府中市郷土の森博物館園内)

全国的にも希少な郵便開業当初の郵便取扱所の遺構である。郵便取扱所は多く当地の有力家が担い、府中郵便取扱所を置いた矢島家も府中番場宿で脇本陣を務めた家柄である。建築は木造2階建で1階の一画を郵便取扱所として窓口を外壁に設けており、この漆喰壁をアーチ型に穿つ。民家を転用した旧手賀教会堂(1881年)と同様の手法を採っていることは興味深く、洋風文化の表象がアーチであったことを物語る。

日野市立中央図書館

竣工:1973年  設計:鬼頭梓  所在:東京都日野市豊田2丁目

図書館設計で名を馳せた建築家・鬼頭梓の名作に相応しく、建物規模と平面計画のバランスの優れた建築である。造形はモダニズムでありながら、フランス積のレンガを外装に用いて重厚で古風な印象を与えている(不思議とグラスゴー美術学校を彷彿とさせる)。加えて敷地内に神社とその参道を置く既存のコンテクストとも関連して、50年という時を重ねることをもって、さながら遺跡に近い佇まいを獲得しつつある。

立正佼成会大聖堂

竣工:1964年  設計:坂本鹿名夫  所在:東京都杉並区和田2丁目

宗教法人・立正佼成会の中心をなす根本道場で、円教(=法華経)を象徴するシンボルとして直径63mに及ぶ5万人収容の聖堂として建てられた。宗教建築に相応しく石材を多用するなど外装材は豊かで、周囲に配した円形の周り階段もキリスト教会堂の放射状祭室を彷彿とさせるフォルムをもつ。現代建築におけるモニュメントとして堂々たる威風は、合理性・経済性を重んじる坂本鹿名夫の建築作品の中では異彩を放つ。

富士山本宮浅間神社

建立:1604年  所在:静岡県富士宮市宮町1丁目

全国の浅間神社の総本社であり、富士信仰の中心地として知られる神社である。徳川家康の発願により「富士山が正面にみえる位置でお供えをしたい」という意向に基づいて造営されたと伝わる本殿は、寄棟造の初層に3間社流造を積み重ねた「浅間造」と呼ぶ全国的に希少な形態をもつ。前方に接続する拝殿・幣殿もまた全体を十字形とした独特な形態をもち、土佐神社の「入蜻蛉」形式を彷彿とさせる。

柳瀬荘久木庵

竣工:江戸時代初期(1939年移築)  所在:埼玉県所沢市坂之下

「電力の鬼」と呼ばれた松永安左エ門(耳庵)が築いた別荘「柳瀬荘」に建ち、元は越後の武士であり茶人であった土肥(土岐)二三の茶室と伝わる。入母屋造茅葺の二畳台目台目切の小間茶室で、点前畳を松材と思しき中柱で隔てた下座床の構成をもち、豊富に穿たれた下地窓からも古田織部や小堀遠州など寂びの茶室の佇まいと映る。また、茶室後方には4畳ほどの水屋も接続しており、よく旧状が維持されている。

旧石黒(恵)家住宅

竣工:1935年  所在:秋田県仙北市角館町表町上丁

角館城址に近い武家町の北端に位置し、今日に近世武家住宅の遺構を伝える石黒家の分家が所在したという住まいである。玄関脇に洋室の応接間と和洋折衷の装いをもつ和室の書斎を並べて、後方にサンルームと思しき広縁に面して客座敷さらには居住系の諸室を配する中廊下形式の平面構成をもつ。種々の銘木の使用のほか、和洋室で構成して和洋館並列型住宅を採らず、昭和戦前期の中流住宅の特質をよく示す好例である。

津島神社

建立:1591年(楼門)、1605年(本殿)  所在:愛知県津島市神明町1丁目

東海地方を中心に分布する牛頭天王(スサノオノミコト)を祀る「天王社」の総本社である。拝殿・祭文殿・本殿を回廊で繋いで全体を左右対称とする「尾張造」と呼ぶ独特の神社建築形式を採り、3間社流造の本殿では木鼻・蟇股ならびに外陣(前室)の中備彫刻の彩色に近世初期の特徴がうかがえる。楼門は豊臣秀吉、本殿は清洲藩主・松平忠吉の妻・政子の寄進といい、厚い崇敬を集めた古社であることを今日に伝える。

来迎寺

建立:1730年(本堂)、1821年(鐘楼門)ほか  所在:三重県松阪市白粉町

松阪の中心市街に建つ天台真盛宗の寺院で、蒲生氏郷による松ヶ島城からの城下町移転により現在地に構えられた。境内には鐘楼門のほか、客殿や松阪城の中門を移築したと伝わる裏門など近世期の遺構が建ち並ぶが、1716年の松阪大火後に再建された本堂こそが興味深い。前面に寄棟造の外陣、後方に二層建とした宝形造の内陣を2棟に隔てて、あたかも礼堂と金堂を接続したかのような独創性ある本堂形式を採っている。

本遠寺

建立:1650年(本堂・鐘楼堂)ほか  所在:山梨県南巨摩郡身延町大野

日蓮宗総本山・久遠寺に近い富士川の河岸に建つ日蓮宗の寺院。開山した日遠に徳川家康の側室・養珠院が帰依したことから伽藍は徳川頼宣と徳川頼房の寄進によるもので、このうち本堂と鐘楼堂が現在も残る。本堂は5間・7間の大型仏堂で折衷様を採るが、詰組として木鼻や肘木に渦の絵様を彫るなど禅宗様の装いを見せる。また、鐘楼堂は初層を四方転びとするが袴腰としない2階建の鐘楼としては珍しく優美な形状をもつ。

清浄光寺(遊行寺)

建立:1859年(中雀門)1937年(本堂ほか  所在:神奈川県藤沢市西富1丁目

鎌倉仏教の1つ時宗の総本山となる高名な古刹である。幾度かに及び火災を被ったことから中雀門(唐門)が唯一の近世期の建築として姿をとどめ精緻な彫刻を今日に伝えるが、多く境内堂宇は関東大震災の後に建てられたもので構成される。本堂は良材を用いて木割が太く重厚で、さらに大きな堂宇であることに近代の装いが薫り、ここに伴われた精緻な彫刻は近世の名残を伝える。近代和風建築の美事な優品である。

福井神社

設計:五十嵐直雄  建立:1957年  所在:福井県福井市大手3丁目

福井藩16代藩主・松平慶永(春嶽)を祀る神社で、福井城址(福井県庁)の北西に鎮座する。1943年の創建後ほどなく福井空襲で焼失し再建されたのが現社殿である。全て打放しコンクリート仕上げで、神明鳥居は貫を省き、拝殿は陸屋根に棟持柱を両側に備えて神明造を読み替えるなど神社の伝統表現をモダニズムへと置換する。装飾を纏わない清廉さを高いレベルで統合させた造形は美事というほかない。

黒部市国際文化センターコラーレ

計:新居千秋  竣工:1995年  所在:富山県黒部市三日市

田畑が広がる黒部市郊外に建つ音楽ホール(カーターホール)を中心にした複合文化施設である。多雪地域もあってだろう敷地を東西方向に貫く通路をとり、これに交差する箇所から南側、それと北東部分に諸機能を配している。南東は大きな親水池を備えて明快なゾーニングをなし、かつポストモダン建築の流行を汲むホールの円筒形・上層に広がる四角錐などの多彩なボリュームが水面に映える様子は目に楽しい。

むさしのエコreゾート

設計:水谷俊博  竣工(改修):2020年  所在:東京都武蔵野市緑町3丁目

1984年より稼働してきた武蔵野クリーンセンターの新築建替(2017年)に伴い、旧施設の一部をレガシーとして継承し、環境啓発施設としてコンバージョンした建築である。収集車が通過し廃棄物を投棄する車路とハッチをそのまま活かすなど、ごみ収集所らしいアノニマスで無骨な装いを「用の美」として演出する。切除した切断面をそのまま広場に面したファサードに転じている手法もなかなかに巧妙である。

くにたち郷土文化館

設計:石井和紘  竣工:1994年  所在:東京都国立市谷保

多摩川の河岸段丘に建ち、その景観を乱さぬよう建築の大部分を埋設する。地表に表した鉄骨造のガラスボックスを主要動線として、後方を彫り窪めたサンクンガーデンより採光・通風を得る構成である。さしずめ石井和紘流「負ける建築」といえ、構造・環境の技術向上を経た今日であれば、また異なる造形・ディテールを見せたであろうと期待させるところに現代に通じる先見性を感じさせる。

旧遠山家住宅

設計:室岡惣七+中村清次郎(棟梁)  竣工:1936年  所在:埼玉県比企郡川島町白井沼

日興証券創業者・遠山元一が母の安住の地として郷里に建てた住まいで東棟・中棟・西棟の3棟からなる。東棟は玄関棟+居住の機能をもち当家再興の象徴となる大規模農家の装いとし、2階建の中棟は1階を書院造、2階を和洋折衷とした接客棟、西棟は数寄屋風の装いをもつ隠居所となるもので、このほか庭園内に茶室2棟も建つ。多様で吟味された良質な材をもって、卓越した技術で為した近代和風建築の粋たる銘品である。

谷村美術館

設計:村野藤吾  竣工:1983年  所在:新潟県糸魚川市京ケ峰2丁目

建築家・村野藤吾の遺作として名高い美術館。澤田政廣の彫刻を陳列する器としてシルクロードの砂漠に建つ遺跡をイメージしたという建築は、平滑でない本実型枠で打設したコンクリート壁面にモルタルを重ね地面から生えたような特異な形態をもつ。彫刻に纏わせる光を造形したといえ、装飾に独自の作風をもつ村野作品の中でも出色の逸品。2000年代に流行する有機的形態をもつ建築の先行事例としても注目できよう。

国営昭和記念公園 花みどり文化センター

基本構想:鈴木雅和+貝島桃代  設計:伊東豊雄+桑原立郎+金箱温春  竣工:2005年  所在:東京都立川市緑町

国営昭和記念公園内に建つギャラリー・研修室・昭和天皇記念館からなる文化施設。階段やエレベーターなどを内包した円筒形の構造躯体で南北に長大なトラスフレームによる屋根スラブを中空に掲げ、ここに「浮遊の庭」と呼ぶ屋上庭園を備える。屋上緑化の流行に資した早期事例の1つで(外観・屋上庭園は2023年と2008年を並べた)経年変化こそ見られるものの植栽はよく育ち、より豊かな空間が醸成されている。

網走市立郷土博物館

設計:田上義也  竣工:1936年(1961年増築)  所在:北海道網走市桂町1丁目

北海道で最初に建てられた博物館である。アイヌの砦跡のイメージを投影し、「北の文化の灯台」となるべくドームを載せたデザインであるが、アメリカの議事堂建築を彷彿とさせるクラシカルなプロポーションに豊かなマテリアルでアール・デコの造形を纏ったグラフィカルな表情をもつようにも映る。2階ホールにドームへの螺旋階段を備え、踊場の梁に載せた壁柱で支持するダイナミックな架構と空間にも驚きを隠せない。

川口市めぐりの森

設計:伊東豊雄  2018年  所在:埼玉県川口市大字新井宿

かつて赤山陣屋が所在し交通の要衝であった地(現在も川口中央ICが隣接する)を歴史自然公園として整備し、ここに造成した大きな池に面して建つ市営斎場である。自由曲面のRCシェルによる造形と併せて「瞑想の森」を後継作だが、公園と斎場の異なるプログラムを併存させるため視覚的なコントールを緻密に施している。公園との連続性は建築を自然の地形に漸近させ、高水準で相互を関係づける構成は巧みである。

下諏訪町立諏訪湖博物館・赤彦記念館

設計:伊東豊雄  :1993年  所在:長野県諏訪郡下諏訪町西高木

町政100周年を記念する博物館で、幼少期を当地で過ごした伊東豊雄による公共建築第2作である。諏訪湖に面し、山並みを後ろに連ねる細長い敷地形状に合わせて「湖に浮かぶ舟」のイメージによる造形は、外装のアルミパネルで流動的でありながら展示空間を内包することで洞窟的で、かつ天井にラミン材を用いて極端な対比構成を示す。それだけにエントランスホールの諏訪湖を臨む内外の連続性が強く印象に残る。

伏木気象資料館(旧伏木測候所)

:1909年(庁舎)、1937年(測風塔)  所在:富山県高岡市伏木古国府

古くは国府さらには北前船の寄港地として栄えた伏木に建つ旧測候所(当地での機器観測は継続)である。明治に私設で測候所が置かれた由緒をもち、県営となった後に庁舎、さらに国営となって測風塔がそれぞれ建てられた。近年のリニューアルで古部材を一部使用して塔屋が再現されたが、既存のポルティコと合わせて水準の高い擬洋風建築の意匠をもち、明治時代末期における当地の建築文化の華やかさを今日に伝える。

静岡市立歴史博物館

設計:SANAA(妹島和世+西澤立衛)  竣:2022年  所在:静岡県静岡市葵区追手町

新たに開館した静岡市の歴史博物館である。鉄骨造による低層で広がる屋根からRC造の躯体が突き出すようなフォルムをもち、荘銀タクト鶴岡に通じる湾曲屋根、ヨシダ印刷東京本社などにみるエキスパンドメタルのスクリーンなど近作と共通するボキャブラリーをもって構成される。戦国時代の道を発掘された遺跡のまま館内に展示したり、静岡の礎を築いた今川家にも焦点を充てるなど展示内容の充実ぶりも注目したい。

日本大学図書館生産工学部分館

設計:大髙正人+木村俊彦  竣:1973年  所在:千葉県習志野市泉町1丁目

「空中架構形式」と呼ぶ大髙正人が試みた建築理念「PAU」のプレファブリケーション(P)の希少な事例の1つ。現場打ちRCの柱梁の大架構を構造的に独立して4列に配し、ここにPCa+PCの柱梁を積層ないし吊り下げてポストテンションによる緊結で結構するという木造建築に通底する特異な架構をもって建つ。美学の表象たるディテールの完成度の高さは美事であり、これぞ工学を学ぶ大学図書館に相応しい品位を伝える。

旧南湖院第一病舎

設計:岡本鶴蔵  竣:1899年  所在:神奈川県茅ケ崎市南湖7丁目

かつて「東洋一のサナトリウム」と称された南湖院の創設当時に建てられた病舎で、湘南に多く存在した結核療養所の歴史を伝える現存唯一の遺構である。木造2階建・アメリカ下見板の洋風建築で、2階開口部にペディメントを並べるなど瀟洒なたたずまいをもつ。正面のペディメントを掲げた張出部は擬洋風建築に多い2層車寄に通じる形状をもち、まさに明治30年代の擬洋風建築から洋風建築への移行期の諸相を伝える。

大聖寺の町並

所在:石川県加賀市大聖寺本町・同中町

加賀藩の支藩である大聖寺藩城下町としての歴史をもち、昭和の市町村合併で加賀市となった後も当地の行政・経済を担った地域である。今日にも地域に点在する歴史的建造物は1934(昭和9)年の大聖寺大火後に建てられたものとみられ(時鐘堂は2003年再建)、元は歯科医院という瀟洒な洋風建築も所在する。多くは伝統的な町家が建ち並ぶが、多く角地に隅切をして入母屋破風を掲げており近代特有の形態を有する。

群馬県立歴史博物館

設計:大髙正人  竣工:1979年  所在:群馬県高崎市綿貫町(群馬の森公園内)

プレファブリケーションへの志向から脱却して、大髙正人が表明した初期理念「PAU」からの転向を「傾斜屋根」によって示した一連の建築の1つ。本作では、地域産の建材-藤岡瓦をタイルにして外装に用い、沢入御影石も併用して地域性への志向をもって、画一的性向という課題が顕在したモダニズム建築の進展を目した。グラントワ(内藤廣設計 2005年)に先行する作品といえ、地域性の系譜はとりわけ興味深く映る。

ホテル雅叙園東京「百段階段」(旧目黒雅叙園3号館)

設計・施工:酒井久五郎  竣工:1935年  所在東京都目黒区下目黒1丁目

はじめは料亭として創業し、今日にもその歴史・格式を伝える都内有数のホテル・結婚式場である。目黒台地の傾斜地に築かれたため「百段階段」(実際は99段)を主動線として、当時を代表する画家たちが華美に内装を手がけた各棟が段差を違えて並ぶ構成をもつ。急勾配な傾斜地という通常避けるであろう敷地特性を活かして特有でかつ特異な非日常空間が醸成されている。

住吉大社

建立:1810年  所在:大阪府大阪市住吉区住吉2丁目

海上交通の守護神として高名な住吉三神を主祭神にする古社。第一から第四まで4つの社殿が大阪湾に向かって西面して建ち並び、住吉三神と共に神宮皇后を祀る。共通して素木造、切妻造平入の中央に唐破風・千鳥破風を重ねた幣殿を備え(正面3間が基本だが、第一本宮のみ5間)、後方に住吉造の鮮やかな本殿が建つ。大嘗祭で建てる殿舎との類似性から古式の形式を伝えるとして国内を代表する神社建築の1つである。

東浦和 HOUSE S

設計:吉田裕一  竣工:2023年  所在:埼玉県

高齢者夫婦の終の住処である。将来的な介護対応を見込んだ中庭を囲むシームレスな動線計画が行われ、南北軸を基本とする住宅街の軸線に対して45°振ったボリュームを配列することで内外を隣家から直線上に見通せないながらも周囲に開き、かつボリュームの隙間に生活がにじみ出ることで緩やかに地域に開く試みがなされている。一見複雑な形状でありながらも、シンプルな造形操作で豊かな空間が創出されている。

日本基督教団  国分寺教会

設計:池辺陽  竣工:1951年  所在:東京都国分寺市本町1丁目

建築家・池辺陽が手がけ、かつ戦後復興期の希少な現存事例である。ローコストで建てるために主体部はトラスで支持し、開口部を大きく採った透明性の高い造りとし、ファサードないし内陣に縦長の開口部を配するためにダイナミックなトラスフレームで架構することで線と面のコントラストの効いた造形をなす。三角形を中心に円形と方形の幾何形態の明快な構成原理が底流する木造モダニズムの優作である。

小机家住宅

竣工:1875年頃  所在:東京都あきる野市三内

都内西方の渓谷の流れる豊かな自然に囲まれた地域に建つ住宅。土蔵造の伝統的な工法で建てつつ、オーダー状の柱を並べたベランダを取り付け、アーチの開口部やコーナーストーン状の左官造作を施した洋風意匠を纏う国内現存最古級の擬洋風建築である。1階は和室が並ぶが、2階は板間の間仕切壁のない開放的な造りで、外観のみならず生活に及んで洋風のライフスタイルを採り入れた進取の精神には驚かされる。

千葉県立美術館

設計:大髙正人  竣工:1974年  所在:千葉県千葉市中央区中央港1丁目

​1960年代後半造成になる千葉中央ふ頭の一画に建てられた美術館。大髙正人による一連の県内文教施設の1つだが、群造形やプレファブリケーションといった1960年代の作風と距離を置く「傾斜屋根」への希求を、師・前川國男と同調する「打込みタイル」の併用で転換が示される。構造を支持する鉄骨の登り梁を天井裏に納めて、重厚な壁・柱に比して視覚的に分離された屋根が軽やかに載る形態は美事の一言に尽きる。

吉村家住宅

竣工:17世紀前半(主屋)、江戸時代後期(表門、土蔵)  所在:大阪府羽曳野市島泉5丁目

​戦前の国宝保存法において唯一の「国寶住宅」(現在の文化財保護法では国指定重要文化財)であった全国屈指の知名度を誇る古民家である。急勾配な茅葺と本瓦葺の軒先を取り合わせた高塀造(大和棟)の優美な屋根形状に30坪を数える広い土間、桂離宮中書院を彷彿とさせる客座敷の設えなど見どころは多く、周辺18ヶ村をまとめる大庄家としての家格に相応しく住まいは豪壮の一言に尽きる。

春風楼

建立:1873年  所在:山口県防府市松崎町(防府天満宮境内)

​防府天満宮境内の南西隅に建つ参籠所であった堂宇。入母屋造2階建の建築だが、初層が吹き放ちとなっていることで浮遊感のある優美なたたずまいをもつ。元は萩藩10代藩主・毛利斎煕が文政10(1822)年に五重塔の建立を計画したことによるもので、現在も床下に仏塔のために築かれた架構と組物が残されている。重厚な基礎構造による内部4本の柱が開放感の造りに資するもので、伝統建築工法の技術の粋を伝えている。

旧旭東幼稚園園舎

設計:江川三郎八  竣工:1908年  所在:岡山県岡山市北区二日市町

1979(昭和54)年まで使用され、解体・部材保存の後に1999(平成11)年に復原された幼稚園園舎の遺構である。「八角園舎」の愛称をもつのは、八角形平面のホールを中心に配した集中形式のプランによるもので、切妻造の遊戯室を放射状に並べる。昭和30年代に全国に建てられた円形校舎と共通し、これを先行する形態と映り、全体が十字形となったフォルムが明治~昭和戦前期の監獄に通底するのは興味深い。​

三鷹跨線人道橋

竣工:1929年  所在:東京都三鷹市上連雀

JR三鷹駅から数分のところに鉄道路線を跨ぐようにして架けられた鉄橋である。一見すると古さを感じさせない造りだが、支柱にレールを用いていたり、階段を支持するトラスとコンクリートスラブのディテールなど各所に昭和戦前期のディテールが散りばめられている。かつては作家・太宰治が愛したとも伝わる当地きっての名所で90年余に亘って風景を織り成してきたが、このほど安全性より解体の運びとなった。

松江城天守

設計:小瀬甫庵、稲葉覚之丞  築城:1611年  所在:島根県松江市殿町1丁目

12か所の現存天守の1つで、築城時期が記録される祈禱札の発見で近年に5つめの国宝天守となった。付櫓を伴う4重の天守閣で、地上5階地下1階と内外で相違があるが、これは大規模な入母屋屋根をもつ櫓の上に望楼を載せる「望楼型天守」を採用することによる。全階を跨ぐ通し柱の使用がなく、荷重を分散する柱梁の架構、少なくない柱を「包板」で覆うなど、木材不足のために構造や建方に種々の工夫が施されている。

チサンイン名古屋(旧名:名古屋チサンホテル)

設計:柳英男  竣工:1973年  所在:愛知県名古屋市中村区則武1丁目

名古屋駅近隣に建つビジネスホテル。不整形敷地の有効活用から円形平面を採り、中廊下の両側に客室を配し中央側客室は中庭で外部に面する設計である。狭い間口から外周にユニットバスを置き、これが外観のアクセントとして表出する。菊竹清訓が参照されたというが、円柱に納めた螺旋階段の造形など、東京工業大学の先輩であり、円形建築の主唱者であった坂本鹿名夫との共通性も垣間見られる。興味深い建築である。

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