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Pick up Archi!! - 2024

円覚寺舎利殿

建立:15世紀前半  所在:神奈川県鎌倉市山ノ内

円覚寺の塔頭・正続院の中に建つ舎利殿。中世建築に特有な木割の細いスレンダーな佇まいに加え、大きく反り上げた軒先をもつ優美な屋根、扇垂木のリズミカルな端先、三手先組物が密に並ぶ軒下の詰組といった禅宗様の特徴的な美しさ、本様式を代表する堂宇の1つとして名高いだけあり美事である。境内奥の塔頭に位置するのは、かつて鶴岡八幡宮の裏手に所在した尼寺・太平寺(廃寺)から移築してきたことによる。

二階堂家住宅

竣工:1810年頃  所在:鹿児島県肝属郡肝付町新富

鎌倉時代より続く島津家家臣の二階堂氏の血脈を継ぐ住まいで、内閣官房長官等の要職を歴任した政界の重鎮・二階堂進の生家。当地方特有の「オモテ」「ナカエ」の二棟造になる農家風の佇まいだが、両棟を雁行配置とし、客座敷を置く「オモテ」床高を掲げるなど武家住宅の造りを基本とする。「オモテ」広間の梁組は、構造と意匠が高い水準で合致したモダニズムに通底する建築美をもつ設計といえ、特筆し得る逸品。

呉市立港町小学校円形校舎

設計:坂本鹿名夫  竣工:1962年  所在:広島県呉市海岸3丁目

JR川原石駅に近い住宅街の中に建つ小学校。昭和30~40年代にかけて全国各地に建てられた円形校舎の1つで、これを創案した坂本鹿名夫が利点として挙げた校地の有効活用の理念が適用され、狭隘な校地に建つ。螺旋階段を配さず校舎中央をホールとし、最上階に鉄骨トラス屋根による体育館を備えるなど坂本の円形校舎の中でも後期の典型的な形態を採用している。2024年4月をもって解体予定で、命脈ももう長くない。

金刀比羅宮旭社

建立:1837年  所在:香川県仲多度郡琴平町

金刀比羅宮の山腹に鎮座する社殿。精緻な彫刻を纏った素木による造りは江戸時代後期の特質をよく示し、とりわけ上層を雲海を象った板軒とするのは特筆できる。寺院仏堂を思わせる大規模な建築であるのも当然で、元は松尾寺金堂であり、神仏判然令により明治になって神社社殿に転用された歴史をもつことによる。本殿を別に持たず、後陣を祭壇のように設える。寺院堂宇を神社社殿に転じる上での改造だろうか。

高麗神社

設計:伊東忠太  建立:1936年(本殿は1552年)  所在:埼玉県日高市新堀

奈良時代に高句麗からの帰化人が住んだ地であり、朝鮮半島との所縁を示すように高麗若光を祭神とする古社である。伊東忠太の設計だが、拝殿後方に切妻造平入ながら庇を伸ばさない特異に映る社殿を置くなど古式に依らない形態をもつ。これは室町時代の本殿を内包する覆屋であり、また極端に前方に張り出した拝殿は2015年の増築で蟇股や木鼻のモダンな造形はこのため。新旧の破綻のない造りには見事といえる。

「学ぶ、学び舎」東京学芸大学EXPG棟

設計:秋吉浩(VUILD)  竣工:2023年  所在:東京都小金井市貫井北町4丁目(東京学芸大学)

Society5.0時代における教育実践(Explayground推進事業)を行う拠点施設。端的にはヴォールト屋根の架構で、この大屋根も製作した5軸加工機を設置する「覆い」である。複雑に凹凸する特異な形態はCLTのパーツを組み合わせたもので、これを型枠としてコンクリートを均して、その上に防水塗料ならびに外壁材を吹き付けた造りである。重厚なのに軽やかに映る不思議な感覚を抱かせる…新時代の建築の到来を期待。

萬翠荘

設計:木子七郎  竣工:1922年  所在:愛媛県松山市一番町3丁目

松山城もある城山南麓に建つ旧松山藩主の血脈を継ぐ伯爵・久松定謨の別邸であった西洋館。白色タイル張とした鉄筋コンクリート造2階建の建築で、外壁を2層に隔て、車寄にコリント式オーダーのピラスター、ベランダにトスカナ式オーダーを備える。とりわけスレート葺の勾配の急な屋根にドーマー窓を並べることからフレンチ・ルネサンス様式の瀟洒な佇まいである。各室内装の保存状態も良好で、その装いも美事。

清澄寺祖師堂

設計:内井昭蔵  竣工:1972年  所在:千葉県鴨川市清澄

日蓮宗四霊場の1つに数えられる清澄寺において日蓮聖人像を祀る堂宇として聖誕750年慶讃事業で建立された。虚空絵の表象として床を2m掲げるが、プレストレストコンクリートの大梁を中央に架け、剛性の強い床スラブと併用するというアクロバティックな構造形式で成立させている。内井昭蔵の建築には、同じ日蓮宗寺院の事例で身延山久遠寺宝蔵がとりわけよく知られるが、本作を先行する事例として重要である。

(仮)目黒の住宅

設計:小嶋伸也,小嶋綾香(小大建築設計事務所)+磯田和明  竣工:2024年  所在:東京都目黒区

内外の音環境への配慮から下層をRC造で立ち上げ、シザーストラスとフィーレンディールトラスの小屋組で上下を固めた間(2階)を木造・S造の併用で開放的な内部空間を実現する。視覚的に桁行方向の架構を見えにくくする壁の左官仕上げをはじめ多彩な樹種を用いたテクスチュアが巧みに被覆し、共同設計ならではのストラクチャーとマテリアルという異なるアプローチからバランスよく豊かな空間が形成されている。

大学セミナーハウス

設計:吉阪隆正+U研究室  竣工:1965年(本館・宿舎など)ほか  所在:東京都八王子市下柚木

八王子の山間の緑豊かな地に所在する宿泊も可能なセミナー施設である。切り拓くことなく自然のままの地形に寄り添って複数の建築群を点在させて全体を構成したコンテクスチュアリズムの先行的事例で、逆さに突き立つピラミッドのようなブルータルな造形が強烈な印象を与える本館に象徴されるように建築は大地に負けない力強さをもつ。モダニズムに置換された山中伽藍の如し…思想や哲学の崇高な精神を垣間見る。

旧濱野医院

竣工:1929年  所在:千葉県浦安市堀江3丁目

江戸川河口に形成された漁村にはじまる浦安の町に初めて開院した西洋医学の医院。スレート葺の切妻造になる木造2階建の建築で、一見して外部仕上げも木造だが、腰壁の竪羽目や妻壁のハーフティンバー状の束・方杖もモルタル塗で耐火を意識した造りである。内部は診療所と続き間座敷を中廊下で隔てた中廊下型住宅で、縁側だけが和風で外部と室内を一致させない昭和戦前期らしい「和洋館並列型住宅」の形式をもつ。

鳴門市健康福祉交流センター(旧旧勤労青少年ホーム・老人福祉センター)

設計:増田友也  竣工:1977年  所在:徳島県鳴門市撫養町南浜東浜

遺作として高名な文化会館と広場を挟んで対面して建つ健康福祉施設である。打放しコンクリートのブルータルな装いだが、大小様々な型枠により打設され、スレンダーなルーバーや形状・色彩の多様な開口部による入る光は情緒にあふれ、間近にみるディテールは実に多彩である。撫養川越しに映るたたずまいは、今は亡き尾道市庁舎・公会堂の姿を彷彿とさせ、増田の心を惹かせた厳島神社の荘厳さすらを思わせる​。

塩尻市奈良井重要伝統的建造物群保存地区

宿駅設置:1602年  所在:長野県塩尻市奈良井

難所として名高い鳥居峠の麓に位置し、かつて「奈良井千間」とも呼ばれて栄えた全長1kmに及ぶ中山道の宿場町の面影を伝える町並である。下町、中町、上町の3町から構成され、それぞれ道幅を違え、各所に配された水場には豊かな水を湛える。出梁造で上階をバルコニーのように迫り出し、「猿頭」と呼ぶ庇の段々状にした押縁、鼻隠板で軒先を覆い、卯建を備えるなど特徴的な形状をもつ町家が軒を連ねる。

旧手嶋家住宅(現・大川筋武家屋敷資料館)

竣工:江戸時代  所在:高知県高知市大川筋2丁目

高知城北東に位置し、山内一豊に従って高知に入った土佐藩上士・手嶋家が居住した武家住宅の遺構。間口4間に及ぶ桟瓦葺入母屋造の豪壮な長屋門を構え、奥に置かれた主屋も間口7間、奥行7間半の規模をもつ立派なもので、それに相応しく式台付玄関、床・棚・付書院を揃えた座敷飾をもつ客座敷をはじめ、充実した「接客系領域」の設えをもち、「居住系領域」とで居室軍を二分するなど武家住宅の特質をよく伝える。

識名園

築庭:1799年  所在:沖縄県那覇市真地

首里城の南方に位置し「南苑」とも呼ばれた琉球王家別邸の遺構である。御殿(庭園整備での再現建物)に面して池泉を中心にこれを巡るようにして苑路を配した回遊式池泉庭園の構成は、近世上流武家の文化的影響をうかがわせる。これを基本としつつ中島に置かれた六角堂は中国風、琉球石灰岩を用いた橋や塀に沖縄の地域風土が組み合わされ、日本・中国・琉球の混交により構築された特異な庭園となって現前している。

旧牛島家住宅

竣工:18世紀初頭  所在:佐賀県佐賀市柳町4丁目(旧所在地:佐賀市朝日町)

道路拡張工事で現在地に解体再建された佐賀城下で最古の町家の遺構と伝わる歴史的建造物である。前方に間口7間に及ぶ見代蔵を構え、後方に切妻造建屋を妻側から接続することで「かぐら建て」に近いT字型の平面形状をもつ。東日本に近いミセと住まいの配置構成を採りながら、片側を西日本に多い通り土間とする取り合わせ方には地域性がうかがえ、かつ接続箇所の居室を二層吹抜にするなど特有の建築的特徴をもつ。

旧神岡町役場庁舎(現・神岡振興事務所+飛騨市神岡図書館)

設計:磯崎新  竣工:1978年  所在:岐阜県飛騨市神岡町東町

国内有数の鉱山で知られた神岡鉱山の町に建った役場庁舎(合併で現在は事務所・図書館)である。設計競技当選案を転じて生み出されたのは、正円に内接する矩形に角度を振った立方体フレームを付して「モンローカーブ」でつないだ脱構築主義建築を彷彿とさせる特異な形態であった。竣工時に「宇宙船が舞い下りた」と評されてからほどなく、高名な宇宙観測施設が設置されたのは未来の予見だったのかもしれない。

旧オルト住宅

設計:イギリス人(施工:小山秀之進)  竣工:1865年頃  所在:長崎県長崎市南山手町

幕末の開港間もない長崎において製茶業を営んだ実業家ウィリアム・オルトの邸宅として建てられた。正面ないし側面にベランダを巡らしたコロニアル様式になる国内における現存最古級の洋風住宅の1つ。天草石の組積造で建て、簡素ながらもトスカナ式オーダー・エンタブラチュア・ペディメントを備えたポーチを備えるなど、内外装に及び他国のコロニアル様式に引けを取らない高水準の洋風住宅として設えられている

宇佐神宮

建立:1860年(一之御殿)、西大門(文禄年間)ほか  所在:大分県宇佐市南宇佐

約8万8千社に及ぶ神社の半数を占めるという八幡宮の総本社。その社格を象徴するように広大な神域に上社・下社を中心に多数の摂社・末社が建ち並ぶ。とりわけ重要と目されるのが、上社に建つ3つの本殿で、いずれも切妻造平入社殿を前後に並べ谷をもつ特異な屋根形状になる八幡造の本殿形式である。総本社の表徴だが、広く全国に建つ八幡宮にありながら八幡造社殿は数社に限られ、局所的な受容のあり方は謎も多い。

熊本駅白川口駅前広場

設計:西沢立衛  竣工:2021年  所在:熊本県熊本市西区春日3丁目

2016年に発生した熊本地震の影響を受け、防災機能強化の必要性から2011年に暫定形として一部完成していた駅前広場を建て替えた。オープンスペースとしての機能を重視して駅出口前面を広く開け、熊本市電プラットホームとロータリーの2か所に分けて200m厚のキャノピーを配する。大きく湾曲させ、また二重に重ねるなどの巧みな造形操作により視覚的に単調に見せないあたりに設計者の見事な手腕を感じさせる。

旧鹿児島紡績所技師館

竣工:1867年  所在:鹿児島県鹿児島市吉野町

日本初の洋式紡績工場に付設されたイギリス人技師の宿舎。後の改変で2階は室内化するが、元は四方にベランダを巡らせたコロニアル様式の特徴をもち、正面に半円堂形のポルティコを備える。内部は中廊下を通して各室を並べる洋式のプランだが、竣工当時の日本人が襖と同じ要領で着座で開閉するのに合わせてドアノブが低く取り付けられており、尺貫による寸法体系などと合わせて構成原理は和式が底流している。

篠原ビルディングⅡ

設計:隈研吾+篠原聡子  竣工:1990年  所在:千葉県東金市東岩崎

東金駅付近の交差点角地に建つテナントビルである。建築家のキャリア初期の建築で夫妻でのクレジットは本作のみだろう。メタリックな外装に和風の切妻屋根を彷彿とさせる庇が機能に依らず各所に散りばめられ、M2ビルなどに先行するポストモダニズム+デコンストラクティビズムという当時の隈研吾の作品的傾向をよく示す。どことなく石井和紘の建築作品(ジャイロルーフなど)との連関性を感じさせ興味深い。

旧江澤家住宅(釜屋)

竣工:1876年  所在:千葉県夷隅郡大多喜町久保

大多喜城下に所在する明治時代初頭に建てられた町家である。東日本に多い土蔵造を採用した見世蔵の建築で、1階をミセ、2階を客座敷とし、かつては後方に居住部分が連ねられていた。江戸の伝統を継承するたたずまいだが、2階に穿たれた縦長の開口部は内部から見ると洋風建築を彷彿とさせる形状で、後補とみられる壁や天井の造作も相まって擬洋風建築の装いにも映る。

早稲田大学所沢キャンパス

設計:池原義郎  竣工:1987年  所在:埼玉県所沢市三ケ島2丁目

狭山湖の北側に広がる森の中に埋もれるように建つ大学学舎。「都市の回廊」をコンセプトに「の」の字を書くように低層部から高層部へと、各所に穿たれたボイドで外部を緩やかに取り込みながら連続する形態で、その形状を活かすように壁式ラーメン構造を採用する。造形原理が強く企図されたフォルムをもつ一方で敷地の高低差を巧みに生かした内部空間にみられるコンテクスチュアルな空間は実に豊かである。

旧石川組製糸西洋館

設計:室岡惣七  竣工:1921年  所在:埼玉県入間市河原町

かつて生糸生産で栄えた石川組製糸の迎賓館として建てられた西洋館。洋館単棟の構成で和室を内包した大正期の洋館らしい造りだが、宮大工・関根平蔵が施工にあたったためか、応接室の折上格天井をはじめ全体的に和洋折衷の装いももつ。外装はレンガタイルを用いて重厚なたたずまいだが、構造は木造である。壁厚などもレンガ造やRC造に比べて薄く、軽やかさを伴うその内部区間とのギャップは妙味深い。

旧本多邸

設計:久米権九郎  竣工:1939年  所在:神奈川県逗子市山の根2丁目

逗子駅からほど近い山裾に建つ実業家の住まいであった瀟洒な洋館である。設計にあたった久米権九郎自らが考案し、これで博士号も得ていた「久米式耐震木骨構造」と呼ぶ小断面部材をボルト締めによって築いた独特な構造形式により建てられている。中廊下型のプランだが、2階の続き間座敷の配置が合理的でないなど、接客系領域と居住系領域が明瞭にゾーニングされていないように映る特異な平面構成をもつ。

旧大湊水交支社(現・北洋館)

竣工:1915年  所在:青森県むつ市大湊町3丁目(海上自衛隊大湊地方総監部内)

旧海軍大湊洋港部において海軍士官の集会場・社交場として建てられたもので、現在は海上自衛隊展示資料館として一般公開されている。近隣の釜臥山から切り出した安山岩を乱積とした国内では珍しい組積造の建築である(小屋組は木造)。近隣には士官官舎も現存し、これも同様の乱積による組積造で、あたかもヨーロッパの歴史的建造物を彷彿とさせる建築が点在する風景は、他所ではなかなかに味わえないものである。

龍正院仁王門

建立:室町時代後期  所在:千葉県成田市滑川

滑河観音の通称で知られる天台宗の古刹である龍正院の境内正面に西面して建つ三間一戸の八脚門。中世の建立と伝わるが木割は太く、とりわけ十六角形断面の柱が目を引く。丸柱に仕上げなかったことによるものだろうが、西洋建築のフルート(溝彫り)を彷彿とさせ、柱の存在感が特に力強く映る。茅葺による屋根厚さにも依るが、軒出が深く、それでいて茅葺屋根にしては緩勾配という軽やかさと対比的な構成をもつ。

比治山ホール 放射線影響研究所 宿舎(旧原爆傷害調査委員会(ABCC)宿舎)

設計:前川國男  竣工:1953年  所在:広島県広島市南区比治山公園5丁目

原爆被害者の調査研究機関の宿舎として建てられ、改組され今日に至る放射線影響研究所でも引き継がれてきた建築である。居室中央に柱が位置し、目を引く湾曲した吊り階段はあくまで動線の合理性から配置されるなど宿舎としての機能性が優先された戦後間もないモダニズム建築である。リーダース・ダイジェスト東京支社(A.レーモンド設計 1951年/現存せず)の構造形式を踏襲し、これを伝える意味でも重要である。

旧大倉喜八郎別邸 蔵春閣

竣工:1912年(2023年移築)  所在:新潟県新発田市諏訪町1丁目(旧所在:東京都墨田区堤通1丁目)

明治・大正の実業家・大倉喜八郎が東京・向島に建てた別邸で、1955年~2006年の長きに亘り千葉・船橋に所在した後に現在地に再建された。外観の重厚さと内観の絢爛豪華な装いは書院造の御殿を彷彿とさせる美事な出で立ちだが、1階食堂は寄木張の床張にシャンデリアを取り合わせ、2階は大広間に蜀江組の特異な格組、廊下には大理石モザイク張りと伝統に依らない特に西洋文化を採り入れた有数の近代和風建築である。

杉並会館

竣工:1967年  設計:芦原義信  所在:東京都杉並区上荻3丁目

宴会場とアニメのミュージアムをもつ文化施設で、荻窪八幡神社に隣接するため結婚式場の機能を担ってきたのだろう。柱梁を露わし、ルーバーを備えた端正な佇まいは和の装いを纏うが、インテリアはモダンで、エントランスに設けられた会田雄亮作の陶壁が目を引く。スキップフロアで階段をつなぎ、かたや上層まで貫く吹抜ももつダイナミックな動線操作にはソニービル(1966年/解体)との共通性を彷彿とさせる。

早川町赤沢重要伝統的建造物群保存地区

所在:山梨県南巨摩郡早川町赤沢

身延山久遠寺と七面山の谷間に位置し、両者を結ぶ参道にあって、かつて講中宿として栄えた山間の集落である。往時をしのばせる旧旅籠をはじめとした建物が並ぶが、急な傾斜地に建つために段状に敷地を拓いたことで、集落を下から見上げると家々が連なり、上から見下ろすと屋根が地面に埋まり土地と一体になったかのような特異な風景として映る。陸の孤島の如き集落には感嘆するばかりである。

軽井沢高原文庫

設計:GKデザイングループ  竣工:1985年  所在:長野県北佐久郡軽井沢町長倉

高原道造、堀辰雄、室生犀星など軽井沢に所縁ある近代文学者の資料を展示する資料館である。泥川の谷地に建ち、傾斜地に合わせて下部を鉄筋コンクリート造で擁壁のようにして据え、上部を鉄骨造で掲げる。切妻屋根を交差させた単位形状を連結させたシンプルな造形で軽井沢の高原風土にフィットする軽妙なたたずまいをもつ。なお、敷地内に立つ立原道造の詩碑は1993年に磯崎新の設計により建てられたものである。

もりおか歴史文化館(旧岩手県立図書館)

設計:菊竹清訓  竣工:1967年(2011年改修)  所在:岩手県盛岡市内丸1丁目

盛岡城跡公園の東隅に建つ歴史博物館である。かつて(2代目)岩手県立図書館であった建築を県から市へ移管してコンバージョンを施したものであり、内部は大幅な改変が行われているとみられ往時の面影をみるのはなかなかに難しいが、外観は概ね竣工当初の装いが継承されているとみる。図書館にしては控えめな印象だが、棟を違えて切妻屋根が前後にずれて連なる屋根形状は近年の建築にも通ずる先進的な形状に映る。

旧秋田銀行本店本館(秋田市立赤れんが郷土館)

設計:山口直昭+星野男三郎  竣工:1912年  所在:秋田県秋田市大町3丁目

秋田市の中心市街に建つ旧銀行。明治時代らしく煉瓦造で建てられたルネサンス様式を基調とするたたずまいだが、上層をレンガタイル、下層を白色磁器タイルと使い分け、上下で紅白の装いを違えるのは珍しい。内部は銀行らしく二層吹抜の営業室など当初のインテリアがよく保持されている。他所にも散見する地域の郷土博物館として継承されており、銀行建築が地方の重要なモニュメントであったことをよく伝えている。

群馬県立近代美術館

設計:磯崎新  竣工:1974年  所在:群馬県高崎市綿貫町(群馬の森公園内)

​高崎市郊外に造成された群馬の森公園内に建つ美術館である。立方体フレームを並べたイメージを基にした造形で12mという長大なスパンをもつ透明性ある内部空間に種々の装置を散りばめて違和感を想起させる。額縁とも見立てられた空間は後に「ホワイトキューブ」と呼ばれる美術館展示室の基本理念として浸透した。機能に依らずフォルムから設計を行った革新性にはポストモダニズムを先行する思想が読み取れる。

多摩動物公園昆虫生態園

設計:日本設計(淺石優、白江龍三、瀬谷渉)  竣工:1987年  所在:東京都日野市程久保7丁目

多摩丘陵の起伏に合わせて造成された多摩動物公園において正門から近い斜面に建つ蝶をはじめとした昆虫の生態を展示するための温室である。平面形状をそのまま蝶とし、羽をギャラリー、体を温室​へと置換する。動物園に建つがゆえにキッチュともいえる直截的な引用が採ったのだろうが…時代的流行を象徴する「ダック」である。上哲男による昆虫を象った精緻かつ鮮やかなレリーフにも注目したい。

旧乾邸

設計:渡辺節  竣工:1936年  所在:兵庫県神戸市東灘区住吉山手5丁目

多くの実業家が居宅を構えたことで高名な旧住吉村に残る邸宅遺構。正面に洋館、後方に和館を連ね、南側に和洋それぞれの庭園を配した典型的な「和洋館並列型住宅」の構成をもつ(和館は阪神・淡路大震災で倒壊)。洋館はRC造ながら砂岩貼りとし、赤褐色の桟瓦葺と相まってスパニッシュ風の装いに映るが、内部はチューダー風の重厚な設えで、ホールをはじめ吹抜を活かした空間構成に建築家・渡辺節の手腕が光る。

天鏡閣

設計:未詳  竣工:1908年  所在:福島県耶麻郡猪苗代町翁沢御殿山

有栖川宮威仁親王の別邸として猪苗代湖を臨む高台に建てられた洋館である。オーダーやペディメントを伴い、とりわけ御座所・寝室をもつ一画をマンサードルーフにするなどルネサンス調のたたずまいをもつ一方で、ベランダのある円堂形のポルティコを備えるなど擬洋風建築らしき装いも併せもつ。インテリアも瀟洒なもので畳敷の上にカーペットを敷くなど宮家の邸宅らしい造作も採られている。

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