Pick up Archi!! - 2022
渋谷区立松涛美術館
設計:白井晟一 竣工:1980年 所在:東京都渋谷区松濤
湾曲した壁面で前面のアプローチを緩やかに引き込み、建物高さを抑え、かつ諸室確保のために地上2階・地下2階建とし、採光を得るために中央を楕円形に穿ち水盤をとする「光庭」も置く…紅雲石で全面を覆った遺跡をも彷彿とさせる重厚な形態や建築家・白井晟一のもつ哲学思想もあり、一見してこれらは覆い隠れているが、「住宅地の中に建つ美術館」という敷地制約を巧みに解消して計画された密度の濃い逸品。
美々津橋
設計:増田淳 竣工:1934年 所在:宮崎県日向市美々津町(県道中之原美々津線)
スレンダーで優美な曲線を描いた耳川の河口近くに架けられた橋長168mに及ぶ道路橋。64.4mのスパンで架け渡された2連のスパンドレル・ブレーストアーチの形式になる橋梁で、戦前を代表する橋梁技術者・増田淳が手がけたものの1つとして知られる。幅員7.5mと狭く、全体にわたり小鋼材をボルト接合とし、さらにアール・デコを彷彿とさせる親柱を備えることなどに昭和戦前期の時代性が色濃く表れている。
旧鹿児島県庁舎(現・鹿児島県県政資料館)
設計:曽禰中條建築事務所 竣工:1925年 所在:鹿児島県鹿児島市山下町
かつて鹿児島県政の中枢を担った県庁舎玄関部の遺構である。全体は中庭を配したロの字型平面形状とした2階建庁舎で、ドリス式オーダーのカップルドコラムにイオニア式オーダーを重ねたネオ・ルネサンス様式の歴史主義建築だが、中央上部にはセセッションを彷彿とさせる意匠も伴う。内部は大理石を多用して外観とは大きく違える表情を獲得しており、石材の豊富な風土性が表出していることに注目したい。
名護市民会館
設計:二基建築設計室(現・二基設計) 竣工:1985年 所在:沖縄県名護市港2丁目
コの字型に並べたホール・公民館・福祉センターで中庭を囲む配置構成をもって名護湾に面して建つ。全面的に打放しコンクリート仕上げとした重厚な装いは規模も相まってブルータルな印象をもつが、南面する中庭は軒の出の深いベランダを備え、一転して開放的な造りである。沖縄では初と聞くプレキャスト・コンクリートを採用したことによる均一に配列された柱梁が林立する表現に投影された姿である。
石場家住宅
竣工:江戸時代中期 所在:青森県弘前市亀甲町
弘前城堀端に建つ希少な近世期の町家。北門に接続する角地に入母屋造妻入で建つが、雪国特有の「こみせ」と呼ぶ軒下空間を通すために東側を角屋として張り出していることで正面(南面)が切妻造平入形式に見える特異な形状をもつ。接道する西側を土間(通り庭)、東側を床上部として奥に向けて生活領域が連なる典型的な町家の平面構成とし、内蔵として土間から土蔵に接続することに雪国に建つ性格が認められる。
旧横浜ゴム平塚製造所記念館
竣工:1906年頃 所在:神奈川県平塚市浅間町
砲用発射無煙火薬国産化のために設立された日本火薬製造株式会社の支配人住居(執務室)として建てられた。西面・南面にベランダをもつことに象徴されるコロニアル様式を基調とした瀟洒な洋風建築だが、塔屋を載せ、2連のベイウィンドウを構えるなど技巧に富む。後に戦前には海軍火薬廠で高等官クラブ、戦後には横浜ゴム株式会社で応接室・会議室として使用され、八幡山公園に移築されて今日に継承されている。
中尊寺金色堂旧覆堂
建立:室町時代中期 所在:岩手県西磐井郡平泉町平泉衣関
名実共に日本建築史上に燦然と輝く中尊寺金色堂において、現在の覆堂の前身堂宇として500年に亘って風雨より金色堂を守ってきた建築である。貫で固めた丸柱を5間四方に配列し、平三斗・間斗束で二軒の宝形屋根を掲げた簡素な建築だが、覆堂であるために前面は吹き放ちとし、内部には柱を置かずに四隅の火打梁と地垂木で小屋梁を中空で支持し、ここに小屋束を載せるという機能に即した曲芸的な架構形態をもつ。
秋田日産コンプレックス ラ・カージュ
設計:早川邦彦 竣工:1990年 所在:秋田県秋田市八橋鯲沼町
国道沿いに建てられたオフィス・郵便局・銀行などを内包した複合商業施設。広い水盤をもつ中庭を囲む複数棟で構成され、挿入された通路で内外をダイナミックに接続し、ここにカラフルに彩ったデコンストラクチュアルな造形を取り合わせる。まさにポストモダニズムの表象であったが、2017年冬に中央部分のファサードを部分的に残して解体され、創建時の姿は見る影もない(写真は2017年8月解体前の晩年の姿)
旧渋谷家住宅
竣工:1822年(1965年移築) 所在:山形県鶴岡市家中新町(致道博物館)
かつて湯殿山東麓・田麦俣の地に建っていた民家である。豪雪地帯の気候に合わせて急勾配の屋根をもち、平側には「高ハッポウ」と呼ぶ冬期の採光を得るための高窓を備えている。内部は3階建とした多層民家であり、ここで養蚕を営み、通風を得るために妻側の開口部を大きく取ることで「兜造」と呼ばれる特徴的な造形が形づくられた。気候と産業が織り成した典型的な民家形態の1つであり、その姿形には圧倒される。
南越前町今庄宿伝統的建造物群保存地区
開宿:1602年 所在:福井県南条郡南越前町今庄
南条山地の山間部に位置し、江戸時代には北陸街道の宿場町、明治から昭和にかけては敦賀方面への登攀のため補助機関車の増結・解放を行う必要から鉄道の町として栄えた交通の要衝。卯建ないし袖壁をもち、登梁を正面に突き出した切妻造平入の町家が建ち並び、軒下に設けられる雪囲いも特徴的な設えである。越前の豪雪地に形作られた歴史的な景観がよく継承され、豊かに薫る文化を今日によく伝えている。
旧福島県尋常中学校本館(安積歴史博物館)
竣工:1889年 所在:福島県郡山市開成5丁目(安積高校内)
明治初頭に安積疎水を引き原野を開拓した郡山の地に置かれた県内唯一の尋常中学校学舎の遺構。下見板張に上げ下げ窓を配した木造2階建のコロニアル様式を基調として、優美な曲線を施した垂れ壁をもつ円堂形のポルティコを正面中央に備えた擬洋風建築である。12年ぶりに見築をした翌日に大きな地震に再度見舞われ、内部漆喰壁に新たな亀裂や剥落が生じる被害を受けたという。心よりお見舞い申し上げます。
三次の石見銀山街道沿いの町並
所在:広島県三次市三次町~十日市中3丁目
江の川の支流が交わる河港として山陽と山陰を結んだ交通の要衝が三次の地である。特に江戸時代には石見銀山街道の宿場町として栄え、今日にも卯建を構えた切妻造平家の町家が点在し、かつ明治時代以降に建てられた銀行などの洋式建築や特徴的な形状をもつ住宅などが建ち並んでいる。特に町家は卯建に鏝絵で屋号などを象っており、他の歴史的な町並と比べて趣き深い風景が織り成されている。
松見公園展望タワー・レストハウス
設計:菊竹清訓 竣工:1976年 所在:茨城県つくば市天久保1丁目
筑波研究学園都市の形成に合わせて造成された松見公園に建てられた展望タワーとレストハウスである。つくばセンタービルに向かって正面する南北軸をもって池に迫り出して建つ。レストハウスは柱をセットバックさせて並べ、床・屋根のスラブのみで構成されたごとく水平性を強く表現し、かたや展望タワーは打放しコンクリートによるブルータルな造形としてコントラストを示す。「せんぬき塔」とは言い得て妙である。
旧陸軍第15師団司令部庁舎(現・愛知大学記念館)
設計:第2次臨時陸軍建築部名古屋支部 竣工:1908年 所在:愛知県豊橋市町畑町1丁目
日露戦争中に創設された4個師団の1つである第15師団が豊橋に兵営を構えるにあたって建てた司令部庁舎。桟瓦葺寄棟屋根を載せ、レンガ積基礎上に下見板張で建てた木造2階建の建築で、ルネサンス様式を基調としつつコロニアル様式も下地にした明治時代末頃らしい佇まいをもつ。戦後に全国各地で陸軍基地が教育施設に転じるが、本作もその好例の1つに位置づけられる。
羽島市庁舎
設計:坂倉準三 竣工:1959年 所在:岐阜県羽島市竹鼻町
1町9村の昭和の大合併により誕生した羽島市の行政を担ってきた庁舎である。木曽川と長良川に挟まれた三角州という湿潤な地に建つことから、周囲を池とした水面に浮かぶ優美な姿形をもつ。スロープにより車でアプローチできるダイナミックな計画や議場屋根をシェル構造とすることにも時代性がよく表れている。新庁舎建設で解体になるという‥‥歴史・文化を重んじられない未来の姿はいかなるものになるだろうか。
日鉱記念館
設計:松田平田設計 竣工:1985年 所在:茨城県日立市宮田町
日立鉱山の閉山を機に開館した企業博物館。大煙突に向けて掲げられた中空シャフトの下部にエントランスと展示室を分断して据えて、アプローチとなる通路をカラミを敷き詰めたオブジェで隠して浮遊感を巧みに演出する‥‥大胆でありながら堅実さも基調とする設計姿勢に組織設計としての確かな手腕が伺われる。バスを逃して雨中の下山の中で記憶に残る忘れがたい出会いも‥‥思い出深い見築を書き留めておきたい。
旧小津家住宅
竣工:江戸時代中期 所在:三重県松阪市本町
三井などと並び名の知られた松阪の豪商・小津家の本宅で、本卯建を左右に掲げた厨子二階建の近世町家の希少な遺構である。江戸時代後期に及んで座敷や土蔵の増築を重ねた大規模な建築だが、正面側上手に位置する通り庭を配した2列6室が中枢部で、前方4室を左右でミセと座敷に分けて、奥2室を生活用の居室として構成する。このうち茶の間と呼ぶ4畳半は、茶室「又隠」を写したものとみられ、とりわけ注目できる。
旧山梨県民会館
設計:内藤多仲 竣工:1957年(2015年解体) 所在:山梨県甲府市丸の内1丁目
かつて県庁東隣に所在した県民会館である。当初は公会堂(1957年竣工)と事務所棟(1960年竣工)が併設していたが、県民文化ホールの完成(1982年)に伴って公会堂は解体され、長く事務所棟のみが使用されてきた。山梨県出身の構造家・内藤多仲の設計もあってストラクチャーのもつリズミカルな力強さをベースにするが、カーテンウォールの接合部などディテールに散見できる種々の表現も奥が深い。
白山神社
建立:1647年(本殿) 所在:新潟県新潟市中央区一番堀通町1丁目
北前船の海運によって近世初期から急速に発展した新潟における鎮守の社である。かつては信濃川の中州(白山島)に鎮座したが、新潟の町割形成と共に遷座し、後に長岡藩の町蔵が構えられるなど経済・政治の中心地となって今日に及んでいる。3間社流造の本殿は中備や長押に華やかな彩りが添えられ、彩色を中心とした平滑な意匠をもつことに近世初期の社寺建築の特徴が認められる。
南砺市菅沼重要伝統的建造物群保存地区
所在:富山県南砺市菅沼
白川郷・相倉集落と共に世界遺産に登録されている合掌造集落である。五箇山地方の山間を流れる庄川が大きく湾曲し、突き出すかのように形成された村落にするにしては小さい河岸段丘上に9戸の合掌造民家が寄り添って建ち並んでいる。日本有数の雪深い気候風土に適応するための急勾配の屋根形状に目を奪われるが、屋根一つとっても切妻や入母屋と形状は豊かで、そうしたディテールが集落に彩りを添えている。
東京都現代美術館
設計:柳沢孝彦 竣工:1994年 所在:東京都江東区三好4丁目
東京都美術館が収集してきた現代アートを分立して設置された美術館。敷地南方に約180mに及ぶ長大なロビーを配し、これに企画展・コレクション展の展示室を接続して中庭を置く明快なプランをもつ。箱型をしたフォルムは一見すれば控えめだが、ロビーを巨大なトラスで構築していることが出色といえ、地下にスパンを広く採ったピロティを設けて水庭を築いた立体的な動線計画はダイナミックで美事である。
旧舞鶴鎮守府司令長官官舎(通称:東郷邸)
設計:森川範一(推定) 竣工:1901年 所在:京都府舞鶴市余部下
初代長官・東郷平八郎に因んで「東郷邸」と呼ばれる舞鶴鎮守府開設と共に司令部に近い高台の上に建てられた司令長官官舎の遺構である。小規模な洋館を車寄をもつ和式玄関の脇に設えた「小規模和洋館並列型住宅」の最初期の事例として希少なだけでなく、コロニアル様式を基調とした洋館は細部意匠も丁寧な造作で、和館も柱の外面に引き通しの開口部として設えるなど先鋭的な設計が施されている。
国立工芸館(左:旧陸軍第九師団司令部庁舎 / 右:旧陸軍金沢偕行社)
改修設計:山岸建築設計事務所 竣工:1898年/1909年 所在:石川県金沢市出羽町
地方創生の一環で東京国立近代美術館工芸館を移転し、2020年に開館した日本海側初の国立美術館。近隣の県立能楽堂裏に並んで所在していた旧陸軍第九師団司令部庁舎と旧陸軍金沢偕行社を曳家して、両建物を繋ぐように新規建物を配して全体を一体的に計画している。美術工芸館は旧近衛師団司令部庁舎(1910年/国重文)にて長く運営されてきたが、同じ旧軍事施設に移転されたという推移もなかなかに興味深い。
和歌山城天守閣(復原)
設計(復原):藤岡通夫 竣工:1958年 所在:和歌山県和歌山市一番丁
和歌山大空襲(1945年7月)で焼失したものを戦後復原した復興天守である。落雷による焼失で1850年に再建された天守が基であり、天守形式は層塔型、天守縄張を大天守・小天守・櫓でロの字型に配置した連立式を採る。躯体はRC造で、内部は構造形式に従ったモジュールで内装も機能に準じた造りだが、その外観に偏重したスタンスこそ近世城郭の精神性を復興したものともいえるのかもしれない。
旧八幡郵便局
設計:W.M.ヴォーリズ 竣工:1921年 所在:滋賀県近江八幡市仲屋町中
W.M.ヴォーリズが日本で最初に活動の本拠を置いた近江八幡に設計したもので、建築全体にクリーム色をしたドイツ壁を纏い、バロック建築を思わせる曲線を用いた妻壁を角屋2階と玄関に備えたスパニッシュ・ミッション様式による瀟洒な佇まいをもつ。かつては1階を郵便局、中庭に面した階段でアプローチする2階は電話交換局であり、いわゆる逓信省の面影を残す郵便電信局舎の遺構である。
旧大湊要港部乙第十号・第十一号官舎(現・北の防人大湊 弐番館)
設計:不詳 竣工:1915年 所在:青森県むつ市桜木町
下北半島の天然の要害地に設営された大湊要港部の士官用官舎。2戸1戸建とした「ダブルハウス」の形式をもち、近隣の釜臥山から採掘した安山岩で外壁を築いた石造であることは希少である。一見してヨーロッパ中世を彷彿とさせる重厚な装いだが、小屋組は和小屋、内装も和式であったといい、寒冷地の気候風土に合わせて選択されたことがわかる。質実剛健なたたずまいには軍施設らしい合目的性格が認められる。
舘林市民センター(旧舘林市庁舎)
設計:菊竹清訓 竣工:1963年 所在:群馬県館林市仲町
1954年市制施行の後に旧町役場庁舎の新築建替で建てられたかつての市庁舎である。構造を支持するコアを四隅に配し、ここから四方にスラブを迫り出して執務室を配置する平面構成で、町役場から引き継いだ広くない敷地に適応するため議場は別棟とせずに最上階に置いている。ブリッジの窓枠の造形、中2階を挟んでボリュームを上下に隔ててシェル構造の屋根を採用するなど「東光園」との共通点がうかがえる。
旧佐賀県知事官舎(現・中之小路賓館)
竣工:1898年? 所在:佐賀県佐賀市中の小路4丁目
長く佐賀県知事の迎賓・居住に用いられてきた建築であり、戦前の高官官舎に広く採られた和洋館並列型住宅で、和館に暮らし、接客空間を和洋館両方にもつ構成とする。洋館には車寄にテラゾー、外壁にドイツ壁とタイルを配い、階段親柱にセセッション調の意匠をもつなど大正・昭和戦前期の流行を見せ、これは和館客座敷の趣意に富む座敷飾の造作にも共通する。後年に大幅な改修が施されてきていることを伺わせる。
旧第五高等中学校本館(現・熊本大学五高記念館)
設計:山口半六・久留正道 竣工:1889年 所在:熊本県熊本市中央区黒髪2丁目(熊本大学構内)
1886(明治19)年の中学校令で設置された第五高等中学校の学舎であった建築である。明治期の学舎に一般的な中廊下型の平面構成だが、高等中学校だけあってレンガ造(イギリス積)が採用している。コーナーストーンだけによらず各階と開口部の上下に据えた横架材とコーニスまでを花崗岩で造作していることでレンガとのコントラストがよく映えており、均整のとれたプロポーションをもってまとめられている。
平川医院
竣工:1916年 所在:千葉県市川市本行徳10丁目
行徳街道に面して建つ医院であった瀟洒な建築。木造2階建だが、モルタルで切石積風の外部仕上げとし、軒下周囲の左官造作にはセセッション調の装いをもつ。上げ下げ窓や鉄板葺屋根の棟は丁寧に造られ、これを手掛けた大工の確かな力量をうかがわせる。それをことさらに強調するのが起り屋根を載せた玄関ポーチで、波と亀を象った精緻な彫刻になる懸魚は見事といえ、大正期において擬洋風建築の系譜を継いだ逸品。
羽黒山五重塔
建立:1372年 所在:山形県鶴岡市羽黒町手向
出羽三山神社が鎮座する羽黒山の麓に建つ室町時代建立の五重塔である。かつては滝水寺に属する仏塔であったというが、明治の神仏分離により廃寺となって塔のみが残されて今日に及んでいる。四隅の組物において尾垂木上に連三斗を据えることにわずかな独自性が認められるが、全体的には純度の高い和様の形式を採っている。地方色の乏しさから羽黒修験道が中央との強く結びついていたことの証左をなす遺構であろう。
長良川鉄道郡上八幡駅
建立:1929年 所在:岐阜県郡上市八幡町城南町
飛騨高地の山間に建つ長良川鉄道の駅舎で、長良川の支流・吉田川流域に広がる八幡町中心市街の西方に位置する。洋風の駅舎本屋のほかプラットフォームや物置といった創建時の駅舎施設が残り、とりわけ木造の跨線橋は珍しい。元々は越美南線の延伸によって設けられた国鉄駅舎であり、平面構成も小停車場本屋標準図面(1930年)に近い形状を伝えている(内部は改修により、カフェ・観光案内所が設けられている)
旧日本銀行福島支店支店長役宅(現・御倉邸)
竣工:1927年 所在:福島県福島市御倉町
新潟と共に2つしか知られていない日本銀行支店長役宅の現存遺構である。阿武隈川沿いの右岸、弁天山を借景にする明媚な地に建つ。玄関脇に小規模な洋館をもつ「小規模和洋館並列型住宅」だが、板壁で覆ったシックな装いもあり和式を主としたたたずまいである。真行草の段階的な設えになる座敷(客座敷・主人居間)に加え、コンクリートブロック造の倉庫を備えるなど注目できる建築的特徴も多い。
白山神社能舞台
建立:1853年 所在:岩手県西磐井郡平泉町平泉衣関
中尊寺鎮守社の1つとして境内北方に座する白山神社に建つ能舞台である。舞台と鏡の間を共に茅葺屋根とすることは素朴な装いだが、舞台は松を描いた鏡板を備えて本舞台・地謡座・後座を配し、後座から橋懸をもって鏡の間と接続させた正統的かつ本格的な能舞台としての構成を有する。鏡板の後方にも棟を連ねていることは異色であり、社殿に直面させて一見して舞台が建つように見えない配置としていることも興味深い。
旧室蘭市立絵鞆小学校円形校舎
設計:坂本鹿名夫 竣工:校舎棟 1958年 / 体育館棟 1960年 所在:北海道室蘭市祝津町2丁目
戦後の児童数増加による教室不足を補うために建てられた円形校舎(2015年閉校)。校舎棟は中央の螺旋階段に支持部材がなく、塔屋も内部をガラススクリーンで囲わない他の円形校舎に比べて開放的な造作で、外周をカーテンウォールとしてバルコニーを教室に取り込むのは寒冷地仕様か。体育館棟は扇形教室の教室規模の取り扱いやホールの架構形態も相異がみられ、性格の異なる2つの円形校舎が建ち並ぶ風景は美事。
大神山神社奥宮 本殿・幣殿・拝殿
建立:1805年 所在:鳥取県西伯郡大山町大山
大山の山腹に鎮座する式内社・伯耆国二宮の由緒をもつ神社で、冬期の祭事のため麓に「冬宮」(現在の本社)を設けたことから古くは「夏宮」と呼ばれた。最大の特徴は拝殿と幣殿の形態で、神門を潜った石段の先に入母屋造妻入とした正面性の強い向拝を構え、左右の翼殿と後方の幣殿とで全体を十字形にする。本殿は入母屋造平入の形式だが、幣殿の奥に連ねており、雪深い気候風土が生んだ特色ある社殿形態を有する。
たつの市龍野重要伝統的建造物群保存地区
所在:兵庫県たつの市龍野町立町ほか
かつては戦国武将・赤松氏、後には龍野藩に引き継がれて鶏籠山南麓の揖保川左岸に形成された近世城下町の町割を継承する歴史的な町並である。周囲を山と川に囲まれた狭隘地に築かれた町並は、湾曲した街路に合わせて不整形な形状をした町家が建ち並び、淡口醬油醸造の一大産地としての隆盛を伝える醸造工場や洋風建築などの醸造関連施設も建ち、中世を起源とする西播磨の中心地としての風致を今日に伝えている。
河原町繊維問屋街
竣工:1958年 所在:熊本県熊本市中央区河原町
戦後のヤミ市にはじまり、火災焼失を機に繊維卸商業組合が共同で建てた熊本で有名な「昭和レトロ」の建築である。2階にレンガタイルとホローコンクリートブロックを交互に並べたファサードをもつが、実体はレンガタイル部分の間口が狭く奥行の長い建築を並べ、ホローコンクリートブロックの部分を半屋外空間として全体を構成する。台北の商業建築を彷彿とさせる特異な建築空間は、国内にあっては希少といえる。
JR奈良駅旧駅舎
設計:大坂鉄道管理局(柴田四郎・増田誠一) 竣工:1934年 所在:奈良県奈良市三条本町
観光案内所となって活用されているJR奈良駅の2代目駅舎である。京都帝室美術館懸賞設計の応募作が基であるといい、宝形屋根に相輪を載せて屋根・庇には垂木のディテールを象って瓦葺とし、柱・梁の漆喰装飾などにも和風意匠をもつ古都・奈良の玄関口を彩るに相応しい装いをもつ。壁面は縦長の開口部を並べてスクラッチタイルを取り合わせた帝冠様式に類される事例で、総じて昭和初期の流行がよく表象している。
紀州東照宮
建立:1621年 所在:和歌山県和歌山市和歌浦西2丁目
和歌浦湾を見下ろす雑賀山山腹に建つ徳川家康を祀る(後に紀州藩初代藩主・徳川頼宣も合祀)神社である。全国に建つ東照宮と同様の本殿・幣殿・拝殿と連ねた権現造の社殿とし、極彩色と彫刻を全面的に纏った煌びやかなたたずまいから「関西の日光」とも称されるという。現存する東照宮の社殿は多く瓦葺だが、本社殿は檜皮葺としており、絢爛な彩色・彫刻と取り合わせはとりわけ優美に映らせる。
大宝神社
建立:1283年(追来神社本殿)など 所在:滋賀県栗東市綣7丁目
JR栗東駅に近い旧中山道に接して鎮座する奈良時代(大宝元年)の創立と伝わる古社である。境内は中山道に平行して南西面し、江戸中期と伝わる豪壮な四脚門を潜った先に神楽殿、中門、覆屋をかけた3間社流造の本殿(いずれも木割が細く中世の建立と見られる)が並ぶ拝殿のない当地域特有の社殿・境内の形態を示す。社殿右手前に建つ摂社・追来神社本殿は鎌倉時代の建立にまで遡るという。
旧第一騎兵旅団兵舎(元東邦大学習志野キャンパス武道場)
竣工:1900年 所在:千葉県船橋市三山2丁目
『坂の上の雲』で知られる秋山好古が旅団長を務めた第一騎兵旅団の遺構である。木造平家建切妻造の下見板張で大壁に設えた建築で、レンガ積基礎に五芒星を象ったグリルをもち兵舎としての足跡を伝える。小屋組はキングポストトラスとし、2階建兵舎が多く方杖を合わせるのに対して、平家建のためか火打梁を採るに留めて、梁の材端がデンティル状に軒下に並ぶ中でこれが斜めに突き出す風変りなディテールをもつ。
橋の博物館(旧瀬戸大橋架橋記念館 / 現・児島市民交流センター交流棟)
設計:上田篤 竣工:1987年 所在:岡山県倉敷市児島味野2丁目
瀬戸大橋の開通記念として本州側の起点の児島に建てられた博物館で、瀬戸大橋など種々の橋梁の模型が展示される。外観は住吉大社反橋の伝統的な太鼓橋、内部はヨーロッパの古典的装飾を纏うヴェネチアのリアルト橋(未完)をモチーフに和洋の装いを併存させた異彩を放つ建築で、現在は市民交流センターとして会議室やギャラリー等をもち、現代の市民生活という装いも併せ持つ他に見られない空間が醸成されている。
防長英霊塔
建立:1962年 所在:山口県山口市平野1丁目
明治維新より後の戦役で殉じられた英霊を祀るために建立された慰霊塔である。楕円形状に土塁で囲んだ中央に高さ約19mの慰霊塔を配置するが、前方左右に自然石の石積風の装いをした納骨堂を備えてスリットを入れたRC造のキャノピーを架け渡すことで祈念空間を形成している。さらにここに屈曲したアプローチが加わることで慰霊塔を中心とした空間の記念性が高められており、設計者の美事な手腕がうかがわれる。
神谷神社本殿
建立:1219年(本殿)、1928年頃(拝殿) 所在:香川県坂出市神谷町
式内社に列せられる五色台の一峰・白峰山の東麓に鎮座する弘仁3(812)年創建と伝わる神社である。3間社流造の本殿は建立年代の明らかな神社建築としては最古のものとして知られ、そのことは中世の建築に特徴的な木割の細さに加え、向拝の虹梁を海老虹梁としないことに読み取れる。令和4(2022)年9月に落雷で屋根の1/3を焼失してしまう被害を被った。今は、その復旧が急がれている。
足利市庁舎別館
設計:石本建築事務所(石本喜久治) 竣工:1953年 所在:栃木県足利市本城3丁目
戦後昭和に全国各地に建てられた庁舎建築の中で早期に実現し(佐賀県庁舎 1950年に次ぐ可能性が指摘できる)、石本建築事務所が他にも庁舎建築を手掛けるようになる契機となった建築である。本館が並び建つ理由から敷地の余地に接道して「くの字型」の平面形状とし、銀行建築に散見する柱型の並ぶ垂直性を基調とした外観意匠で外装をセメントボードとすることと併せてモダニズム建築より遡る造形表現が薫る。
三鷹市山本有三記念館(旧清田龍之助邸)
竣工:1926年 所在:東京都三鷹市下連雀2丁目
外壁を木枠で縁取り下層にスクラッチタイルを用いたF.L.ライトの影響を受けた当時流行の装いをもち、転じて内装はチューダー様式を基調としたクラシカルなもので、立教大学で後進の教育に携わった後に実業界に転じた異色の経歴をもつ清田龍之助の趣向が投影された瀟洒な邸宅である。1936年から10年は小説家・山本有三が暮らし、書斎を和室に改変したことで和洋が併存した妙味ある趣きを有するに及んでいる。
旧国立天文台大赤道儀室(国立天文台天文台歴史館)
設計:東京帝国大学営繕課 施工:中村與資平 竣工:1926年 所在:東京都三鷹市大沢2丁目
国内最大口径を誇る65cm屈折望遠鏡を備え1998年まで研究観測を行った天文・天体観測の歴史を伝える遺構。「内田ゴシック」の表現で知られる東京帝大営繕課設計であることもあり、ロンバルディア帯を巡らしたクラシカルな装いも妙味だが、回転機構をもつ木造ドーム屋根に円形をした床全体がエレベーターのように上下する機構をもつ展望台の機能に即した形態は、まさに「芸術は必要にのみ従う」を体現している。
全日本海員組合本部会館
設計:大髙正人+青木繁(構造) 竣工:1964年 所在:東京都港区六本木7丁目
全日本海員組合の東京移転に伴い建てられた本部会館。ホールを地下に配し、その間口の確保のために両端にコアを分散配置し、これを壁柱として外部長手方向にわずか2本ずつ配した柱に繋いだ大梁を主要架構とする。ジョイスト梁も併用してロングスパンを実現し、このことが上層階のオフィスの執務空間を開放的な造りとするのに資するものとなっている。小規模な事務所建築ながら「作為の思想」が強く薫る名作。
サント・シャペル
献堂:1248年 所在:フランス・パリ
フランス国王・ルイ9世がキリスト受難に関わる聖遺物を祀るために建てた礼拝堂である。大規模化・高層化を極めた盛期ゴシック建築の潮流の中で、規模に依らず装飾性を求めたレイヨナン式の代表事例として知られる。周囲に配したバットレスで支持し、柱間に広く設えられたステンドグラスで鮮やかに彩られた内部空間は光の芸術と形容し得るほどにただ美しい。現代建築に通じる透明性を誇るたたずまいには驚かされる。