Pick up Archi!! - 2020
旧赤星鉄馬邸(現・ナミュール・ノートルダム修道女会)
設計:A.レーモンド 竣工:1934年 所在:東京都武蔵野市吉祥寺本町
昭和戦前期の実業家・赤星鉄馬が関東大震災後に建てた邸宅。創建当初は打放しコンクリート仕上げのRC造3階建の建築で「く」の字型に折れた特徴的な形状をもつ(レーモンドの弟子・吉村順三の脇田山荘に通じる)。広い芝庭に面する南面は窓庇を付け、北面はプリズムガラスを埋め込み壁面を主体とした造形で表情を違えるなど多彩な表情をもつ。緩やかに湾曲した階段や趣向に富んだ建具などディテールも秀逸である。
橋林寺納骨堂(現・橋林寺開山堂)
設計:中村鎮 竣工:1932年 所在:群馬県前橋市住吉町
中村式鉄筋コンクリート構造(通称:鎮ブロック)を採る発案者・中村鎮の代表作。これは積み上げたブロックの空隙にコンクリートを充填する施工方法としているため、型枠を兼ねたブロックがまるで砂岩の石積風の壁面となって外観を印象深いものとしている。本瓦葺とした緩勾配の入母屋屋根を載せていることとも相乗しており、それにより奈良時代の寺院のような古式のプロポーションをもつようにも見える。
南方熊楠記念館
設計:CAt/新館、野生司義章/本館 竣工:2017年/1965年 所在:和歌山県西牟婁郡白浜町
博物学の巨星・南方熊楠の事績を顕彰する記念館。番所山の狭隘地に建ち、かつジョイスト梁を根太のように緊密に並べ、東京文化会館を思わせる湾曲した庇を掲げた本館との隙間を縫うように新館を繋いで構成されている。全体を湾曲させて有機的な表情をもつ新館は、造形上で本館との明らかな対比を示すが、敷地の特性を活かした浮遊感ある独自のたたずまいを獲得している…その姿は「一反木綿」を彷彿とさせる…
彦根城
竣工:1622年 所在:滋賀県彦根市金亀町
多くの大老を輩出し江戸幕府を支えた井伊家の居城であり、近世期の天守閣が現存する12天守の1つである。彦根山のほぼ中央に牛蒡積みによる石垣で支えられた三層の望楼型天守を置く。破風と華頭窓を多数配した華やかな造作をもつと共に附櫓と続櫓が接がれた見る向きによって印象を違える造形的な装いである。天守への出入口に位置し、長浜城から移築したともいう天秤櫓も他所にはない珍しい独特な造りをもつ。
三朝温泉 後楽
設計:堀口捨己 竣工:1955年 所在:鳥取県東伯郡三朝町三朝
古く平安時代末期に遡る歴史をもつという三朝温泉に建つ旅館である。鳥取市宮谷の旧家・徳田家の屋敷を解体して得た豪壮な欅の古材を用いており、ロビーの柱には敷居や鴨居などの仕口が残り、これを朱塗とすることで古代文様を思わせる特徴的な造作となっている。2階(非公開)には客室も残されており、吟味された材や趣向に富んだ天井の造りに堀口捨巳の洗練された和風建築の造形美を見ることが出来る。
仙台東照宮
棟梁:梅村彦作之山 建立:1654年 所在:宮城県仙台市青葉区東照宮
仙台藩2代目藩主・伊達忠宗が創建した徳川家康を祀る神社で、仙台中心部より北にある玉手崎と呼ぶ丘陵に建つ。創建時からの随身門・唐門・本殿を伝え、火災焼失により戦後に幣拝殿と神饌所を再建している。全体的に彩色・彫刻は控えめで拝殿後方に幣殿を突出させて本殿と接続しない形式を採るなど東照宮に象徴的な権現造としていないことに注目できる。
水戸市水道低区配水塔
設計:後藤鶴松 竣工:1932年 所在:茨城県水戸市北見町
水戸城跡附近に建つ市内の低地部分に給水を行っていた配水塔である。上層に貯水槽を掲げた下に螺旋階段を備える構成であるが、特徴はそれを覆う上屋で、ラーメン構造のフレームをベースにバルコニーを巡らせ、アーチ型の開口部やメダリオン調の装飾、頂部にはクーポラを載せるなど古典的な装いをもってまとめられている。エントランスにはアール・デコ調の装飾も持ち、昭和戦前期らしい意匠も認められる。
東京ジャーミイ・トルコ文化センター
設計:ハッレム・ヒルミ・シェナルプ 竣工:2000年 所在:東京都渋谷区大山町
代々木上原駅に近い井の頭通り沿いに所在する国内最大のジャーミイ(集会モスク)で、トルコ人建築家による設計、職人・建材もトルコより派遣・輸入して建てられたオスマン様式になる本格的なモスクである。ミナレットを会堂に近接させ、周囲の半球アーチを小さくするため6本の柱で支持するなど狭隘な敷地に合わせた柔軟な設計で、下層に事務室やギャラリー・店舗を併設する近代的な機能を併せ持つ造りとしている。
久能山東照宮
建立:1617年 所在:静岡県静岡市駿河区根古屋
徳川家康の遺言により、その埋葬の地として建てられた社殿である。全体に及んで煌びやかな錺金具、精緻かつ鮮やかな彫刻・彩色を纏わせて「泰平の世」の礎を築いた徳川家康の功績を顕現させた優美な社殿である。それと共に拝殿と本殿を幣殿で繋いで一体化した権現造の社殿形式を採り、後に各地で建てられた東照宮をはじめとする近世期の神社社殿に多大な影響を及ぼす、その模範となった重要な歴史的建造物である。
唐招提寺金堂
建立:8世紀後半 所在:奈良県奈良市五条町
唐の高僧・鑑真の創建になる律宗の総本山となる名刹。本尊・廬舎那仏が座する金堂は、法隆寺に次ぐ奈良時代の現存遺構で、正面の柱を中心より左右に向けて次第に狭く、かつ奥行1間分を吹き放ちとし、さらに通肘木を入れて間斗束を2層に重ねるなど特徴的な造作をもつ。姿形の麗しさもさることながら、垂木を二層に重ね、かつ三手先組物を備えて後の寺院建築に継承されていく和様化の軌跡を示すことも重要である。
大浦天主堂
設計:フューレ神父・プティジャン神父 建立:1865年 所在:長崎県長崎市南山手町
幕末の開国後に建立されたされた国内現存最古のキリスト教会堂で、洋風建築で初めて国宝指定を受けている。木造による華奢な柱やリブヴォールトによってゴシック様式を下地にした三廊式のバシリカ式教会堂であるが、外観はレンガ造で後年に改修されたもので、創建時はカップルドコラムを並べて櫛型のブロークンペディメントを掲げたバロック様式に下部を海鼠壁で覆った擬洋風の装いをもつものであった。
桂離宮 古書院・中書院・楽器の間・新御殿
竣工:1615年/古書院 1641年/中書院 1662年/新御殿・楽器の間 所在:京都府京都市西京区桂御園
江戸時代に宮家・八条宮の別荘として智仁・智忠の両親王によって築かれたもので、古書院・中書院・新御殿と3期にわたって雁行状に造営された書院群を中心とする。書院群は数寄屋風書院の代表的遺構として名高いが、池と周囲に点在する御茶屋群、多様な形状をした石燈籠などで西洋のバロック様式と通底するダイナミックなシークエンスをもつ池泉回遊式庭園と一体となって表象する審美性にこそ本質が宿る。
無鄰菴(旧山縣有朋京都別邸)
設計:新家孝正/洋館 山縣有朋・小川治兵衛/庭園 竣工:1898年 所在:京都市左京区南禅寺町草川町
琵琶湖疎水を引き入れて浅い流れを造り、芝庭と取り合わせた池泉回遊式庭園を築いた近代的日本庭園の礎をなす名園。いわゆる和洋館並列型住宅の形式を採るが、和洋館が独立して配された独特な構成で、洋館もレンガ造でありながら土蔵風の外観とし、内部も狩野派の障壁画と折上格天井をもつ和洋折衷の設えになる擬洋風建築の佇まいをもつ。元勲・山縣有朋の美意識が投影された建築・庭園の姿を見るものであろう。
大分県庁舎本館
設計:九州地方建設局(安田臣) 竣工:1962年 所在:大分県大分市大手町
高層の行政棟を共に低層の議会棟と厚生棟 (政庁) とで挟む配置とし、行政棟をピロティとして相互の機能分化と連結を図っている。行政棟南北面のバルコニーや折板構造の議場に当時代の庁舎が求める機能性が見られるほか、彫刻家・流政之の協力による庭園や「恋矢車」と銘された行政棟妻面の矢絣状の壁面装飾を併せ持つのが出色で、機能美と造形美が高次で融合された国内でも指折りとなる庁舎建築である。
旧黒木家住宅
竣工:1836年頃 所在:宮崎県宮崎市神宮2丁目(宮崎県総合博物館)
高千穂峰東麓より宮崎県総合博物館敷地に移築保存された江戸時代後期の古民家である。九州南部に特有な二棟造と呼ぶ分棟型をした農家で、台所・茶の間を内包する寄棟造妻入の「ナカエ」と居住棟となる寄棟造平入の「オモテ」とを間に「テノマ」を挟み全体をL字型に構成している。「オモテ」の「カシラノマ」には素朴な意匠ながらも床・棚を備えており、郡奉行の御用宿を務めた当家の家格を伝えている。
旧鹿児島県立図書館(現・鹿児島県立博物館)
設計:岩下松雄(鹿児島県建築課) 竣工:1927年 所在:鹿児島県鹿児島市城山町
照国神社前交差点角地に建ち、県立図書館館舎をコンバージョンして1981年より博物館として開館している。交差点の隅部に塔屋を掲げてファサードの象徴的な要素としてデザインし、その下部にエントランスを構える。外観意匠は全体的に装飾性を削いだセセッションの趣向を示すが、エントランスにドリス式オーダーを思わせる柱を並べ、歴史主義様式から移り変わる過渡期の様相を示している。
二条城二の丸御殿
竣工:1625年頃 所在:京都府京都市中京区堀川西入二条城町
江戸幕府を立ち上げて間もなく徳川家康が御所守護・将軍上洛のため築城したのが二条城で、現在の御殿は3代将軍・徳川家光の治世下に建てられたものである。格調高い座敷飾の造作や絢爛豪華な彫刻・彩色・障壁画を備え、本瓦葺で重厚なたたずまいをもつ大広間・黒書院・白書院の複数の書院群が庭園に面して雁行して配置される書院造の代表的遺構として日本建築史上に名高い逸品である。
弘前城天守
竣工:1810年 所在:青森県弘前市大字白銀町
焼失(1627年)の後に長く天守を持たなかった弘前において蝦夷地警備・津軽海峡防備のために江戸時代後期に建てられた2代目の天守閣で、全国に残る現存12天守の1つ。3層建の層塔型天守で、屋根を銅瓦葺にするのは寒冷な当地の気候に適応するための仕様であろう。近年、石垣修理のために70mに及ぶ曳家を行い、さらに内部に鉄骨架構を組み込み、一時的な耐震補強が施されている。
毛越寺庭園
築庭:1117年 所在:岩手県西磐井郡平泉町字大沢
奥州藤原氏の繁栄の下、平泉の地に中尊寺と共に再興され、これと共に築庭された浄土庭園の代表的遺構の1つである。寺院堂宇は後に焼失し、現在は礎石を残すのみであるが、伽藍正面に中島を浮かべた大池を整え、築山・立石・州浜を周囲に点在させて往時の姿を伝えている。北東には大池にそそぐ遣水の流れもあり、『年中行事絵巻』など絵画にのみ姿を知ることが出来る寝殿造の様相を伝える点も重要である。
秋田オーパ
設計:青木茂 竣工:1974年/2017年(改修) 所在:秋田県秋田市千秋久保多町
JR秋田駅西口ロータリーに面して建つファッションビル。築40年を経過して耐震強度不足や設備老朽化が生じていたことを受けて「リファイニング」され、新たにモダンな装いをもってリニューアルされた。旧来の躯体をベースに内外装のマテリアルを刷新したほか、中央にブレースを加えて床を除いて複数階を空間的につなぐ吹抜を挿入しており、リノベ―ションによるイメージの刷新に貢献している。
鶴岡カトリック教会天主堂
設計:パピノ神父(棟梁:相馬富太郎) 竣工:1903年 所在:山形県鶴岡市馬場町
鶴岡の中心市街に建つ三廊式バシリカ形式としたカトリックのキリスト教会堂である。「フランスのデリヴランド教会をイメージ」とあるが、当地(ドゥヴル=ラ=ディヴランド)には類例がなく、広くフランス北部・ドイツ南部に見られる単棟式の教会堂がモチーフであったと見られる。ロマネスク様式が下地であるが、4分交差ヴォールトや束ね柱の採用などにゴシック建築と混淆した用法が認められる。
旧正宗寺円通三匝堂(会津さざえ堂)
建立:1796年 所在:福島県会津若松市一箕町八幡弁天下
堂内を巡って巡礼を行う関東・東北に特有な三匝堂(栄螺堂)の遺構。白虎隊墓所で有名な飯森山の中腹に建ち、元は明治の廃仏毀釈で廃寺となった正宗寺の堂宇として建立された。六角形平面の内部にDNAの立体構造のような二重螺旋形状によるスロープを通し、最上層に渡された太鼓橋によって繋ぐことで入口から登って出口にまで一方通行で下ってくるという全国にも唯一という特異な建築である。
旧手賀教会堂(旧日本ハリストス正教会手賀正教会)
建立:1881年(移築前の民家建築年は未詳) 所在:千葉県柏市手賀
手賀沼南畔の高台に建つかつての日本ハリストス正教会の教会堂。船枻造とした茅葺寄棟造に正面・西側に瓦葺の庇を付した民家の趣を示すのは、別地より移築・解体して教会に転用したためである。東側に付設する聖堂は明治30年頃の増築といい、境を漆喰で塗り固めて3つのアーチを穿ち、洋風の両開戸・片開戸を備える。聖堂前室の外部にもガラスを入れたアーチ窓を並べるなど洋風意匠の摂取のあり方が興味深い。
旧松井田町役場庁舎
設計:白井晟一 竣工:1956年 所在:群馬県安中市松井田町新堀
円柱の並ぶ荘厳さをもつ佇まいから「畑の中のパルテノン」と形容された山間の静かな町に建てられたかつての町役場庁舎である。安中市との合併後に郷土資料館となり(写真はその頃となる12年前のもの)、大会議室が展示室、品位のある造作が各所に見られる和風会議室が埋蔵文化財の保管場所などに用いられていた。耐震強度不足が明るみとなって以降は閉鎖されており、今後の先行きが不安視されている…
旧茨城県立土浦中学校本館
設計:駒杵勤治 竣工:1904年 所在:茨城県土浦市真鍋
進学校として全国的な知名度を誇る茨城県立土浦第一高等学校が旧制中学校の頃に建てた学舎である。木造平家建であるが、異様に高い天井高に縦長の開口部を大きく穿ち、廊下幅も狭くした教室内への採光を強く意識した設計である。左右に尖塔を置いた象徴的なファサードを構え、各所に設けられた尖頭アーチからもゴシック様式を基調とするが、全体的な意匠は本格的な様式建築よりは擬洋風建築に近い趣を有している。
園城寺新羅善神堂
建立:1347年 所在:滋賀県大津市園城寺町
園城寺(三井寺)慶大から離れてポツンと建つ新羅明神像を安置する社殿である。三間社流造であるが、最大の特徴は正面に前室をもつことで滋賀県の地域的特色とされる。前室付本殿は各地にも点在し、八幡神社社殿への採用が多いとされており、神仏習合の性格を示すものだろう。神社本殿は内部を外陣・内陣で分けるのも、このことがルーツになっていると思われるのだが、果たしてどうだろうか。
奈良ホテル本館
設計:辰野金吾・片岡安 竣工:1909年 所在:奈良県奈良市高畑町
戦前に国営として多くの国賓・皇族が滞在した「西の迎賓館」と呼ばれた国内を代表するクラシックホテル。興福寺や東大寺に近い古都・奈良の景観に合わせた木造2階建の和式の装いをもち、内部を安土桃山調の設えを基調に縦長の開口部、吹抜・階段をもつホール、客室をはじめ各所に暖炉のマントルピースを並べるなど洋風の設備・要素を合わせた和洋折衷式の意匠としてまとめた近代和風建築の代表的事例の1つである。
七曲市場
設立:1957年 所在:和歌山県和歌山市東長町
和歌山城西側の住宅街にある寂びれた佇まいをもつ市場である。明治末頃に開業した芝居小屋「宇野栄座」の繁盛に合わせて市場が形成され、1918年には県内初の公設市場の1つとして設立された「湊公設市場」を前身とする。十字形状に配された路地に店舗が軒を連ねて高度経済長期には大変に栄えたというが、鉄骨屋根を架けて覆っているために暗く閉鎖的な迷路のような趣をもつ。昭和の生活風景を残す文化資産である。
犬島精練所美術館
設計:三分一博志 竣工:2008年 所在:岡山県岡山市東区犬島
瀬戸内に浮かぶ犬島に1909年から1919年のわずか10年のみ操業した銅の精錬所跡(1925年廃止)で、80年余りを経た後に美術館へとコンバージョンされた。かつての精錬所の廃れた佇まいを残しつつ、煙突やカラミ煉瓦といった素材を活かして新旧の装いが混然とした全体が豊かなアートスペースとなってデザインされている。太陽・地下熱など自然エネルギーを利用した環境システムの採用していることにも注目できる。
親和銀行大波止支店
設計:白井晟一 竣工:1963年 所在:長崎県長崎市五島町
佐世保に本店を置く地方銀行(10月より十八親和銀行に合併)の支店として長崎の中心市街に建つ。御影石を全面に纏った開口部の少ない重厚なたたずまいをもち、キャノピーで回廊状に隔てられた中庭(水盤)・ロンバルディア帯を彷彿とさせる軒部の意匠からロマネスク様式のキリスト教会堂を思わせる。正面して思いのほか小規模であることを実感させるのは、異彩さを併せ持つ建築の存在感が顕著なことの裏返しだろう。
アートプラザ(旧大分県立大分図書館)
設計:磯崎新 竣工:1966年 所在:大分県大分市荷揚町
大分市の中心市街に建てられた旧県立図書館。蔵書が増える図書館の機能拡張に対応するために柱と中空状の梁による構造・設備を一体化した「プロセス・プランニング論」に基づく架構システムを採用し、翻れば増築のために突出して切断面を見せた中空状の梁が意匠上の特徴になっている。新図書館建設のために市に譲渡されアートプラザへとコンバージョンされて今日に至るモダニズム建築の優れた再生事例の1つである。
熊本駅前広場 暫定形
設計:西澤立衛 竣工:2010年 所在:熊本県熊本市西区春日2丁目
形状そのままに「しゃもじ」と呼ばれた市電熊本駅上に架けられた屋根である。避難場所の確保を理由に解体となり、これに代わる屋根の建替も同じ西澤立衛氏が担うという。「しゃもじ」は複数の雲形形状の屋根が並ぶ「完成形」の一部で、そのために「暫定形」と位置付けられていたが、建替により当初計画されていた「完成形」が姿を消し、異なる「完成形」が姿を見せる。どちらが本当の「完成形」の姿なのだろうか。
旧河野家住宅
竣工:1855年 所在:宮崎県日向市美々津町
美々津の歴史的町並に所在する廻船問屋を営んだ町家で、後方に妻入建屋が連なる「かぐら建」に近い独特な形状をもつ。街路に面した前方部分は厨子二階になる階高の低い江戸期の趣を伝え、神棚をもつ2層吹抜とした「中の間」や2階部分や客座敷の設えの新しさから後方建屋は後年の改変と思われる。F.L.ライトの下で帝国ホテル建設に携わり、国立駅の設計などを手掛けた建築家・河野傳(1896-1963)は当家の出身。
栄福寺薬師堂
建立:1472年 所在:千葉県印西市角田
棟札により建立年代が明らかな千葉県下で最も古いという室町時代建立の木造建築で、熊野神社と並び立ち神仏習合の境内景観を今に伝えている。3間四方で出三斗の組物に中備に間斗束を備えた小規模かつ簡素な造りで中世の建築らしい木割の細い軽快なプロポーションをもつ。向拝は江戸中期の後補とされ、虹梁に彫られた渦・若葉の形状に明らかであるが、これにより茅葺屋根の形状が特徴的な造形をもつに及んでいる。
旧高城家住宅
竣工:江戸時代後期(推測) 所在:鹿児島県南九州市知覧町郡
知覧の伝統的町並に建つ旧武家住宅の遺構で、客座敷・玄関などで構成される接客用の「オモテ」と土間(台所)など生活用の「ナカエ」(昭和に復元)の2棟を雁行させて繋いだ「知覧型二ツ家」の形式をもつ。2棟の寄棟屋根とこれらをつなぐ一段下がった小棟が特徴的な造形を見せ、知覧にある他の武家住宅遺構と同様に刈込を主体とした枯山水庭園とこれに接する続き座敷の華やかな出で立ちなど見どころも多い。
旧西新小岩社会教育会館(葛飾区新小岩学び交流館・上平井保育園)
設計:安田臣 竣工:1973年頃 所在:東京都葛飾区西新小岩4丁目
新小岩駅近隣に建つ児童施設である。正方形の屋根スラブの下に雁行させてガラス・カーテンウォールを備えた2階建のボリュームと3階建で下層に向けて広がる台形状ボリュームの2つを渡廊下で接続させた幾何学を主体とした造形をもつ。平面的操作がそのまま立体化した極めて図形的な形状であるが、台形状ボリュームの屋上手摺PC板の傾斜やバルコニーのディテールに特有の「表情」が読み取れる。
名護市庁舎
設計:象設計集団+アトリエ・モビル 竣工:1981年 所在:沖縄市名護市港1丁目
398点もの応募作の中からコンペで選出・実現に及んだ市庁舎である。ルーバーや花ブロックによる半屋外のバルコニーを巡らせて沖縄の気候風土への適応を目指し、これが樹木と取り合わさることで40年弱の歳月が積み重ねた土着ともいうべく独特の風景を織り成している。グリッドにより構成されて中央部分がV字型に凹んだプランはいかにもモダニズムの構成で、ファサードとは裏腹となるギャップが興味深い。
ランス大聖堂
建立:1475年 所在:フランス・ランス
フランスを代表する大聖堂で、かつて代々フランス国王の戴冠式が行われた歴史をもつ。双塔を構えた壮麗なファサードをもつ西構え(正面)に対して、他面(南北・東)はフライングバットレスとピナクルを並べた凹凸の激しい装いにし、内部壁面を3層構成として37mを超える高い尖塔アーチが四分交差ヴォールトで連続的に並ぶ盛期ゴシック建築の特徴をよく示す。朝日が差し込み鮮やかに彩られる聖堂内部には感動を覚える。
NBF大崎ビル(旧ソニーシティ大崎)
設計:日建設計 竣工:2011年 所在:東京都品川区大崎2丁目
JR大崎駅に近接して建つ高層オフィスビルである。正面(東面)に日照制御のためのバルコニーを備え、全面的に纏われた陶製ルーバーは、太陽光発電によって循環させた雨水の蒸発による気化冷却の実現を企図した「バイオスキン」を試みたものである。このほか建物周辺を豊かな植栽で囲むなど省エネルギーを目した環境配慮型オフィスとして、現在の建築潮流となる「サスティナブル建築」の嚆矢となる事例である。
旧青森営林局庁舎本館(現・青森市森林博物館)
設計:久留正道 竣工:1908年 所在:青森県青森市柳川
森林博物館として転用されている営林局の庁舎を前身とする建築である。ペディメント・エンタブラチュア・オーダーの古典的装飾を用いたポルティコ、ペディメントを掲げた開口部を並べることに加えて、マンサードルーフを載せたフレンチ・ルネサンスを基調とした歴史主義建築のたたずまいをもつ。館内には局長室を再現した一室があり、映画「八甲田山」のロケで使用されたことでも知られている。
岩手県公会堂
設計:佐藤功一 竣工:1927年 所在:岩手県盛岡市内丸
皇太子(後の昭和天皇)の御成婚を記念して建てられた公会堂。現在は、ホールのほかに複数の会議室からなるが、創建当初は県会議事堂・西洋料理店・皇族宿泊所なども併設されていたという。ラテン十字形をした平面形状をもつことは、正面に塔を構え、バットレスを外部に並べることと合わせてキリスト教会堂を彷彿とさせる形状をもつ。建物全面にわたってスクラッチタイルを纏っており、昭和初期の特徴を示している。
仙北市立角館樺細工伝承館
設計:大江宏 竣工:1978年 所在:秋田県仙北市角館町表町下丁
樺細工振興のため建てられた伝統工芸館である。角館の歴史的町並に所在するコンテクストを背景に中庭を囲むロの字型平面とし、複数のボリュームを廊下で接続させて町並に対して強いマッスとなることを避けている。古民家やキリスト教会堂の形状ひいては茅葺屋根・漆喰壁・オーダー・アーチ・ハンマービームトラスなど和洋のディテールを散りばめることで伝統の中に併存させる新たな建築を創ることへの回答としている。
明善寺本堂
設計:伊東忠太 竣工:1934年 所在:山形県山形市七日町
JR山形駅東方の住宅街に建つ浄土真宗の寺院。近代に建立された寺院本堂らしく木割が細く、装飾・彫刻も控えめなたたずまいをもつが、鼓楼と鐘楼を双塔のように左右に並べ、入母屋造妻入形状をした屋根は本堂中央で棟を交差させて権現造社殿を思わせる形状を示しており、伝統から大いに逸脱した形態をもつ。郷土の出身であり、日本建築史の泰斗であった伊東忠太ならではの斬新な造形表現である。
旧滝沢本陣横山家住宅
竣工:1678年(主屋)、19世紀初め(座敷) 所在:福島県会津若松市一箕町大字八幡字滝沢
会津藩が参勤交代などで用いた本陣の遺構で、幕末の戊辰戦争では藩主・松平容保の出陣によって陣屋になった由緒をもつ。主屋と座敷を雁行して配置して、その接続箇所に玄関を置き、便所・湯殿も角屋として張り出す。主屋は屋内の大部分が土間を占め、囲炉裏を備えた板間からなり、座敷は座敷飾をもつ続き間座敷で北側に池泉庭園を備えた近世上級農家の趣をよく残す貴重な文化資産である。
一之宮貫前神社
建立:1635年 所在:群馬県富岡市一ノ宮
上野国一宮としての由緒をもつ古社で、総門から石段を下った先に社殿を置く「下り宮」と呼ぶ社殿配置をもつ。社殿前に楼門を構え、その奥に拝殿と本殿を置くが、共に元禄11(1698)年に施された大規模修理により近世初期の社寺建築に特徴な極彩色による鮮やかな装いをもつ。一見すると春日造を思わせる本殿は、内部を2階建とした他社に見ない当社特有の形状をもち「貫前造」と呼ばれる。
石岡の看板建築群
竣工:1930年頃 所在:茨城県石岡市国府3丁目
石岡の繁華街には伝統的な木造架構の躯体の正面ないし側面に主として洋風の趣を持たせた壁面を立ち上げた「看板建築」が軒を連ねるが、石岡の看板建築群は元々のバラック的性格を超えた重厚な装いをもつ。これは1929(昭和4)年に生じた大火によって一帯が焼失し、関東大震災後の震災復興で東京に出現した流行に倣って同時期に建築されたことで生み出された昭和戦前期特有の表情をもつ歴史的町並といえる。
掛川城御殿
竣工:1861年 所在:静岡県掛川市掛川
嘉永7(1854)年の大地震で倒壊したことを受けて掛川城二の丸に再建された御殿で、全国的に希少な書院造になる上流武家住宅の遺構である。時代的に幕末の地震後の再建という事情もあり、書院造に特徴的な絢爛豪華な装いはなく、簡素な造りだが、藩主の接客・対面のための書院群と藩役所の機能を内包する配置構成や設えの格式に書院造の特性を明快に見ることが出来る。
山梨岡神社
建立:室町時代末期 所在:山梨県笛吹市春日居町鎮目
御室山東麓に鎮座する「山梨」の県名発祥の由緒をもつとも伝えられている古社で、戦国武将として名高い武田氏から厚い崇敬を受けてきたことでも知られる。飛騨工とも武田氏お抱えの番匠の手になるものとも伝えられる(隅木)春日造の形式をもつ本殿は杮葺・素木の簡素な造りだが、中備に蟇股を嵌め、繋虹梁に直線状の部材を用いており、木割が細いことと合わせて中世社寺建築の特徴をよく示している。
旧清水家別邸/旧會津八一邸(北方文化博物館新潟分館)
竣工:1895年 所在:新潟県新潟市中央区南浜通
油田掘削で巨万の富を得た清水常作が建て、後に歌人・美術史家・書家として多彩な才能を発揮した晩年の會津八一が暮らした住まいである。和館・洋館を渡廊下で介して併設した「和洋館並列型住宅」で、表門側・庭園側双方に和洋館を並列して扱う形態は明治20年代以降の傾向をよく示す。和館2階の階高や洋館外部意匠の装いに後の時代的特徴を感じさせるものがあり、御神楽や増築といった後年の改修を匂わせる。
旧横浜正金銀行本店本館(神奈川県立歴史博物館)
設計:妻木黄頼 竣工:1904年 所在:神奈川県横浜市中区南仲通
戦前の日本を国際金融面で支えた貿易金融・外国為替に特化した特殊銀行であった横浜正金銀行の本店の建築である。ジャイアントオーダーのピラスターやブロークン・ペディメントの使用などネオ・バロック様式になる重厚な装いは壮麗。1967年に後方に増築部分を加えて神奈川県立博物館となって新たな役割を得たが、これも50年を過ぎた。その歩みは歴史的建造物保存活用の歴史における重要な足跡でもある。
旧横浜市庁舎
設計:村野藤吾 竣工:1959年 所在:神奈川県横浜市中区港町1丁目
横浜開港100周年を記念して建てられた横浜市の7代目市庁舎である。柱・梁架構の間に茶褐色タイルを嵌めた同年代の村野作品に通じるテイストをベースに上階に向けて減衰する特徴的な柱形状をもち、さらに建物内部に及んで「村野好み」のディテールが散りばめられている。行政棟と議会棟をつなぐ「市民広間」に戦後庁舎が目指した理念が明快に読み取れ、ここに置かれた造形性豊かな階段はまさに逸品である。