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Pick up Archi!! - 2021

大倉集古館

設計:伊東忠太  竣工:1927年  所在:東京都港区虎ノ門2丁目

実業家・大倉喜八郎が自らのコレクションの展示のために設立した国内で最初の財団法人の私立美術館である。関東大震災の震災復興で建てられた現建物は、日本・アジアの古美術品収蔵に相応しいよう中国の城門・山門のプロポーションをベースに中国風の意匠でまとめられている。組物の省略(軒下)や漆喰で付した単なる装飾(展示室)として扱うことは耐震・耐火のために採られたRC造の躯体と適合のためであろう。

瑞龍寺

棟梁:山上善右衛門嘉広  建立:1655年(法堂)、1659年(仏殿)など  所在:富山県高岡市関本町

加賀藩2代藩主・前田利長(1562-1614)の没後、その菩提寺となった曹洞宗の禅宗寺院である。1654(承応3)年に大規模な伽藍整備が行われ、現在にみられる総門・山門・仏殿・法堂が中心線上にならび、これを回廊で囲む境内配置となった。禅宗伽藍の基本的な配置構成をもつと共に仏殿などの堂宇も禅宗様をもって建立された禅宗寺院の純粋な形態を今日に伝える代表的事例に数えられる逸品である。

JFE体育館(旧川崎製鐵千葉製鉄所体育館)

設計:芦原義信  竣工:1973年  所在:千葉県千葉市中央区南町1丁目

JFEスチールの前身である川崎製鉄の千葉製鉄所設立20周年を記念して建てられた体育館である。メインアリーナを2階に設け、観客席を左右に置く形状がそのまま外部に表出することで現れたダイナミックに反り上がった打放しコンクリート壁面に圧倒される。ヴォールト屋根のスラストを受けるためか端部に折板構造を用いることで刺々しい造形をもち、その姿形はムカデを彷彿とさせる印象的な形態である。

料亭開花亭 sou-an

設計:隈研吾  竣工:2008年  所在:福井県福井市中央

足羽川北岸の福井の中心市街地に建つ料亭。アネックスとして登録文化財である本館(1948年)の正面に建ち、鉄骨造の躯体にガラスカーテンウォールを纏い、さらにこの外装にクサマキの木を用いたという麻の葉組子を思わせる格子パターンを配している。隈研吾氏の建築で近代建築材料を自然素材で覆う手法は2000年前後から見られるが、これが木組へと展開する転換点を示した建築として注目できる。

表慶館

設計:片山東熊  竣工:1909年  所在:東京都台東区上野公園

後に大正天皇となる嘉仁親王の御成婚を記念して建てられた国内初の本格的な美術館。当初は美術工芸品、現在は企画展の展示会場として用いられている。ネオ・バロック様式の壮麗な建築で、吹抜をもつホールを中心とした平面構成は戦前の美術館に共通するが、左右の階段室で上下階を繋ぐ構成は建築が全体的に高さ方向に偏りのあるプロポーションをもつことと合わせて初期作品ならではの「迷い」が読み取れる。

スミス記念堂

設計:宮川庄助  竣工:1931年  所在:滋賀県彦根市本町3丁目

彦根高等商業学校(現・滋賀大学経済学部)の英語教師であり、日本聖公会の牧師であったP.A.スミスが、キリスト教を通じた交流を願い献堂した礼拝堂。全体の形状は寺院風の和式建築であるが、キリスト教の礼拝堂に適用するために入母屋造妻入とし、花頭窓には菱格子を入れたステンドグラス風の開口部、さらに桟唐戸や透かし欄間などに洋風の彫刻を取り合わせて和洋が美事に混然一体となった近代和風建築の逸品。

杉村楚人冠記念館(旧杉村楚人冠邸)

設計:下田菊太郎  竣工:昭和初期  所在:千葉県我孫子市緑

戦前に活躍したジャーナリスト・杉村楚人冠が関東大震災後に我孫子に居を移すにあたり建てた住まい。玄関脇に「サロン」となる小規模な洋館をもち、後年にベランダをサンルームに改修したことも加えて戦前に流行した「文化住宅」の特徴をよく示している。洋館部のドイツ壁・名栗の入った暖炉など野趣に富んだ意匠や勝手口のような簡素な玄関は珍しく、建築界の異端児として知られる下田菊太郎の表現といえようか。

鬪雞神社

建立:1661年(本殿)ほか  所在:和歌山県田辺市東陽

ここを参拝することで熊野三山参詣(熊野本宮本社、熊野速玉大社、熊野那智大社)に替えられたともいう伝承のある、熊野三山の別宮的な社格をもつ厚い崇敬を集めてきた古社である。熊野本宮本社のかつての社殿配置を今日に伝えるという、春日造の本社(證誠殿)・上殿・八百万殿、流造の西殿・中殿・下殿の6社が一列になって並ぶ珍しい配置形態をもつ。

南木曽町妻籠宿伝統的建造物群保存地区

所在:長野県木曽郡南木曽町吾妻

中山道と伊那街道が交差する交通の要衝であり、特に中山道六十九次の江戸から数えて42番目の宿場町として栄えた歴史をもつ。全長500mに及び、江戸側から下町・中町・上町・寺下の町並が連なり、とりわけ寺下の町並は、伝統的建造物群の制度創設を後押しした象徴的存在としてよく知られる。町並の中には、妻籠発電所や尾又橋といった近代化遺産も所在し、近世・近代の歴史の積層が見て取れることにも注目したい。

薬師寺

建立:730年(東塔)、1512年(南門)など  所在:奈良県奈良市西ノ京町

680年に藤原京で創建され、平城京遷都(710年)に際して現地に移り、金堂を中心に東塔・西塔をその前方に並置する伽藍配置形式をもつ。後の火災・兵火で伽藍の多くの堂宇が失われており、平城京遷都時に築かれた唯一の現存堂宇がこのほど解体修理を終えた東塔である。三重塔に3層の裳階を纏った6層に見える優美な形態、そして三手先組物による精緻な造作をもち、「凍れる音楽」と評された代表的遺構である。

旧前川國男自邸

設計:前川國男  竣工:1942年  所在:東京都小金井市桜3丁目(江戸東京たてもの園内)

建築家・前川國男自らが設計した自邸で、中央に配された独立円柱は伊勢神宮の棟持柱にインスパイアされたものである。吹抜をもつ居間を中心とした戦前に先進的な居間中心型住宅のプランで、居間を挟んで玄関、書斎、台所、寝室を並べて小規模ながら機能をコンパクトにまとめている。元々は東京・目黒にあり、1973年に解体されて部材が保管されていたものを1997(平成9)年に江戸東京たてもの園に復原した。

リーガロイヤルホテル

設計:吉田五十八・竹中工務店  竣工:1965年,1973年  所在:大阪府大阪市北区中之島5丁目

1935(昭和10)年創業の「新大阪ホテル」を前身とし、1965(昭和40)年に現地で開業した「大阪の迎賓館」。開業当初から建つ15階建のウエストウィング(1965年)と後に吉田五十八が関わり加えられた30階建のタワーウィング(1973年)の両棟を中心とする。とりわけ高名なのが、タワーウィング1階のメインラウンジで、遣水を思わせる流れ、金蒔絵の柱、紫雲を表現したシャンデリアと見事な設えには唸らされる。

奈義町現代美術館・図書館

設計:磯崎新  竣工:1994年  所在:岡山県勝田郡奈義町豊沢

岡山県北部の山間の町に建てられた美術館と図書館を併設した複合文化施設である。宮脇愛子・岡崎和郎・荒川修作+マドリン・ギンズの現代アートを常設展示とし、一般的な展示室+収蔵庫の構成としない美術館であるため展示室がそれぞれ分棟配置され、それにより建築の全体形状が表出している。美術館部分と対比的な表情をもつ図書館であるが、その内部空間は見事で、図書館建築に実績が豊富な磯崎新の手腕が光る。

住吉神社

建立:1370年(本殿) 1539年(拝殿)など  所在:山口県下関市一の宮住吉一丁目

神功皇后の新羅出兵に際して創建され、軍事と海上交通の神として厚い崇敬を集めてきた「日本三大住吉神社」の1つである。第1殿から第5殿を連ねた流造の本殿形式が特徴で、それぞれに現存最古となる千鳥破風を掲げている。住吉造でないことは、当社が住吉三神と共に応神天皇ほか八幡信仰に関わる神々を祀ることと関係するのだろう。縦拝殿の形態をもつ拝殿も戦国武将・毛利元就の寄進によるもので注目できる。

長崎市南山手伝統的建造物群保存地区

造成:1858年  所在:長崎県長崎市南山手町

江戸幕府がアメリカ・オランダ・ロシア・イギリス・フランスとの通商を締結した「安政五ヶ国条約」により開港場となった長崎において、外国人居留地として造成された住宅地の歴史をもつ。鍋冠山西麓の傾斜地にコロニアル様式の邸宅が並び、今日もこれらが住み継がれて良好な歴史的町並が維持され、重厚な歴史的・文化的な景観が織り成されている。

岩田学園1号館・2号館

設計:磯崎新  竣工:1964年  所在:大分県大分市1丁目

県内で最も古い歴史をもつ私立学校の校舎である。地元大分の出身である建築家・磯崎新による初期作品の1つで現存最古の建築として知られる(後に加えられた校舎群も磯崎新設計)。1号館・2号館と呼ばれる2つの校舎は向き合うようにして渡廊下で繋がれ、共に上部を斜めに象り、凹凸のあるフォルムが原広司の下志津小学校(1967年  現存せず)を彷彿とさせる。これも共に近い時期に丹下健三に師事したからだろうか。

旧伊東伝左衛門家住宅

竣工:江戸時代後期  所在:宮崎県日南市飫肥4丁目

飫肥城址の近くに建つ飫肥藩の上級武家住宅の遺構である。屋敷は東面して建ち、正面側1列を客座敷・次の間・玄関の間からなる接客系領域とし、それより後方を居住系領域として、北側は下屋として茶の間や勝手土間を配し、南側に居間としての座敷を並べる。客座敷のみならず居住用の座敷にも座敷飾を備えているのが特徴で、これも上級武家の住まいならではの設えであったということだろう。

鹿児島県産業会館

設計:内藤建築事務所  竣工:1967年  所在:鹿児島県鹿児島市名山町9丁目

鹿児島県の経済振興に関わる各種団体のオフィスと会議室が入る事務所建築である。中央に高層棟を置き、左右に末広がりの十字形断面柱のピロティをもつ低層棟を並べるが、1階のカーテンウォールをセットバックして配していることで人工地盤の上に建つようなプロポーションを見せる。重厚ながら浮遊感をもつ相反した建築的性格が併存し、一体としてのまとまりを失っていない造形に設計者の巧みな手腕が伺われよう。

那覇市民会館

設計:現代建築設計事務所(金城信吉)  竣工:1970年  所在:沖縄県那覇市寄宮1丁目

沖縄返還(1972年)の式典会場になった歴史をもち、長く沖縄の文化振興に寄与してきた市民会館である。これは建築においても、赤瓦を葺いた庇を巡らせて「アマハジ」を表現し、さらに「ヒンブン」の表象となる腰壁を象徴的に具備して沖縄の古民家に見られるボキャブラリーを投影した風土性を加味したモダニズム建築となって実現されている。後のポストモダンが目指した理想像を先行した名作である。

ディオクレティアヌス浴場跡

建設:306年  所在:イタリア・ローマ

ローマ皇帝・ディオクレティアヌスが建設させたローマ帝国最大規模を誇ったテルマエ(公衆浴場)である。既に失われて改変を伴う部分もあるが、浴場の中心部分(テピダリウム・フリギダリウム)は16世紀初頭に壮麗に改修されてサンタ・マリア・デッリ・アンジェリ・エ・デイ・マルティーリ聖堂となって今日に継承されている(同様に他所がローマ国立博物館になっている)。ローマのレスタウロの真髄がここに見られる。

青森県弘前合同庁舎

設計:岡隆一(岡建築設計事務所)  竣工:1964年  所在:青森県弘前市蔵主町

中庭をもつ箱型の形状にピロティを介してアプローチさせる内部への貫入手法が巧みな県庁出先機関の庁舎。前川建築の聖地として名高い弘前に建ち、乱石積の基壇、中庭壁面の開口部の造形操作、暗褐色タイル張の壁面やホローブロックの用法、内部の演出性の高い階段と存在感のある手摺…と、ディテールは前川建築に通じ、それと見紛うほどの優れた水準をもつ。弘前の建築文化水準の高さを伝える文化資産である。

旧第九十銀行本店本館(もりおか啄木・賢治青春館)

設計:横濱勉  竣工:1910年  所在:岩手県盛岡市中ノ橋1丁目

盛岡出身の建築家・横濱勉が東京帝大卒業後ほどなく設計し、今日知られる唯一の現存作品。ロマネスク・リヴァイバルに分類されるが、無骨なコーナーストーンやデンティル、軒四隅に備えたガーゴイルにピクチャレスクの趣を併せ持つ他に類を見ない独創的な造形を示す。セセッション調という簡素な内部意匠、吹抜を持たない執務室とする銀行では特異な空間をもつことを思えば、若き建築家の野心的な造作と見るべきか。

秋田県立美術館

設計:安藤忠雄  竣工:2012年  所在:秋田県秋田市中通一丁目

正面2階に外部に張り出して水庭を配し、千秋公園側を臨む美しい眺望を実現させるためにエントランスを反対側に備える。ここに正面に向き合って建つ旧美術館の形状がモティーフになったという三角形形状をした吹抜空間を設け、円状に昇降する大階段を対比的に挿入して建築を特長づけるもう1つの「顔」をつくっている。高い造形性により構成を成立させ、機能の向上に資する「美しい設計」による美術館である。

旧東田川郡役所

設計:高橋兼吉  竣工:1887年  所在:山形県鶴岡市藤島山ノ前

擬洋風建築で建てられた初代庁舎の焼失を受けて再建された2代目庁舎で、初代に次いで高橋兼吉棟梁が手掛けたが建設費の関係からか和風意匠でもって再建された。外部に面して腰壁を取り回し、中庭をもつ左右対称形の平面構成をもつことに加えて、執務室の床板を斜めに据え付け、さらに後方に張り出して置かれた郡長室には織物を敷いて洋風家具を備えるなどディテールに洋風意匠も垣間見られる近代和風建築の好例。

岩槻藩遷喬館

竣工:1799年  所在:埼玉県さいたま市岩槻区本町

儒家・児玉南柯が開いた私塾を前身とし、後に藩校となった学舎の遺構。式台玄関を正面に構えることで曲家に近い茅葺民家の形状をもつが、宮崎・椎葉の民家形式の「竿家造」を彷彿とさせるような各室が一列に連なる平面構成が特異である。縁側は座敷部分にしか回さず、外部とは厳然として壁で隔てて腰壁をもつ窓が並ぶ(これに引き通しの雨戸を備える)のも珍しい設えで、後の近代の学校校舎を思わせる装いに映る。

旧伊達郡役所

設計:山内幸之助・銀作  竣工:1883年  所在:福島県伊達郡桑折町陣屋

桑折町への移転に伴い、陣屋跡地に建てられた郡役所庁舎。ペンキ塗のアメリカ式下見板張とする木造2階建の建築で、各層に軒蛇腹とデンティルを巡らせ、正面中央に2層車寄をもつ明治10年代後半以降に散見する下見板系の擬洋風建築であるが、塔屋を併せ持つことに従前の形式との通底が見られる。2階議場の床板に溝を彫り入れてレンガ敷を彷彿とさせるなど細部に及び上質な造作が施されていることに注目出来る。

鶴岡邸

設計:武田清明  竣工:2021年  所在:東京都練馬区石神井町

リズミカルな連続ヴォールトによる2層のコンクリートスラブが浮遊するかのような佇まいをもつ。コンクリートには経年変化を彷彿とさせる洗出し仕上げを採り、これに屋上緑化も相乗して南面する石神井池と連なる風景を織り成している。新しいのに古くからあったかのような印象を抱かせ、さしずめ「寂びのモダニズム」とも言い得るだろうか…時間の経過と共に姿形がどう移ろっていくのか興味が深まるばかりである。

妙義神社

建立:1756年(社殿)、1656年(波己曽社)、1773年(総門)  所在:群馬県富岡市妙義町妙義

537年創建と伝わる妙義山東麓に鎮座する古社である。拝殿・幣殿・本殿を連結した権現造の社殿形式を採り、彩色・彫刻を社殿全体に纏った絢爛豪華な装いと合わせて近世を代表する神社の1つとして知られる。境内中腹に位置する波己曽社がその前身社殿となるもので、撞木造を思わせる特徴的な社殿形式もさることながら、彩色を主体とした平滑な装いをもち、近世社寺の意匠の変化を明快に伝えることに注目出来る。

長勝寺

建立:元禄年間(本堂・楼門・方丈・書院ほか)  所在:茨城県潮来市潮来

潮来の市街に建つ1185年創建と伝わる臨済宗寺院である。水戸光圀公によって元禄年間(1688-1704年)に境内が整備されたと伝わっており、本堂のほか楼門、方丈、書院、庫裡などこの時に建てられた諸堂宇が今日に継承されている。本堂は、疎垂木を並べた簡素な装いの初層が目を引かせるが、全体的に禅宗様をもって構成されており、加えて山門や方丈といった境内配置も禅宗伽藍の構成を彷彿とさせる。

伊豆文邸

竣工:1910年  所在:静岡県賀茂郡松崎町松崎

かつて呉服商が営まれていた町家の遺構である。総二階で建てられており、各階に銘木を多用した客座敷を構えるなど明治時代末期の建築的特徴が認められる。伊豆半島の歴史的建造物に特徴的な海鼠壁を用いるが、町家の外壁全体にわたって備えられていることに加えて、別棟で建つ土蔵などの付属建物にも及んでおり、海鼠壁が屋敷建物全体に用いられて重厚なたたずまいが形づくられている。

藤村記念堂

設計:谷口吉郎  竣工:1952年  所在:岐阜県中津川市馬籠

『夜明け前』などの名作で知られる文豪・藤村藤村の事績を記念するために生家(馬籠本陣)跡に建てられた記念堂。地元の建材を用い、地域住民の勤労奉仕によって建てられたこともあり長屋門を思わせる小規模で簡素な建築であるが、記念堂と築地塀で囲まれた一画を砂庭として一体的に静謐な空間を形成している。Less is More - これもまたモダニズムの精神が表出した豊かな建築の在り様だろう。

旧舂米学校校舎(現・富士川町民俗資料館)

棟梁:松木高造  竣工:1876年  所在:山梨県南巨摩郡富士川町最勝寺

明治初期の県知事・藤村紫朗が県内各地に建てた「インキ壺」とも呼ばれる学校の遺構の1つ(藤村式建築)。コロニアル様式の特質を受け継いだベランダを前面に付設し、かつて内部に太鼓を吊るした塔屋を載せて全体は立方体に近いプロポーションをもつ。桟瓦葺であることに加えて、開口部のアーチや四隅のコーナーストーン、軒蛇腹など漆喰で彩られた洋風意匠を纏う擬洋風建築の好例である。

金地院本堂

設計:坂本鹿名夫  竣工:1956年  所在:東京都港区芝公園3丁目

東京タワーの足元に建つ臨済宗の寺院。徳川家康の下で江戸幕府の礎を築いたことで高名な以心崇伝が創建しており、京の居所であった南禅寺金地院から名をとっている。東京大空襲で焼失した後に建てられた現在の本堂はRC造による八角円堂の形状をもつが、中心部を高く掲げて庇を軽やかに広げる造形に本作を手掛けた坂本鹿名夫が主唱した円形校舎と共通する意匠が認められるのは興味深い。

旧東京鎮台歩兵第3連隊第2大隊兵舎(現・白壁兵舎広報史料館)

竣工:1874年  所在:新潟県新発田市大手町6丁目

明治維新の後、陸軍創設に伴い新発田城に置かれた歩兵第3連隊第2大隊(はじめ第8大隊、後に歩兵第16連隊)の陸軍兵舎の遺構。白漆喰塗に上げ下げ窓を並べ、四隅にコーナーストーンを象るなど擬洋風建築の意匠をもつが、2階床を支持する挟み方杖に加えてキングポストトラスを用いて洋式建築の架構を採用していることに注目できる。さらにトラスの下に伝統的な舟肘木を併用することも技術史上興味深い事例である。

菅野家住宅

竣工:1900年頃  所在:富山県高岡市木舟町

山町筋の伝建地区に建つ見世蔵の1つで、側壁のレンガ壁・門柱、庇下のモールディングと鋳鉄柱など(目視できないが小屋組はトラスが用いられている)随所に洋風意匠が散りばめられた和洋折衷のたたずまいをもつ。内部は木割が細く華奢な造作で、ベンガラを用いた漆喰壁との取り合わせもあり数寄屋風の軽妙な装いである。庭境に土縁を備えて、雪深い北陸に建つ気候・風土に適した造りであることにも注目したい。

旧内山家住宅

竣工:1882年頃(主屋)、大正時代(離れ)  所在:福井県大野市城町

幕末に大野藩家老を務めた上級武家の家格をもつ内山家が明治時代以降に整えた屋敷建物の遺構で、書院造を基調とした主屋と渡廊下で接続した数奇屋風書院による近代和風建築の離れが邸内に並び、合わせて土蔵・庭園も残る。主屋は整形四間取で南北で接客と居住の両空間を二分する民家の基本形式を採るが、2階に広大な12畳間のほか物置などをもち、総2階建としていることに近代の特質が垣間見られる。

園城寺一切経蔵(旧洞春寺経蔵)

建立:室町時代初期(1602年移築)  所在:滋賀県大津市園城寺町

天台宗門宗総本山・園城寺境内に建つ八角輪蔵を備えた経蔵で、江戸時代初期の伽藍再興にあたって毛利輝元の寄進により洞春寺(旧国清寺/山口市)の経蔵を移築したものと伝わる。宝形造四間四方二層建の建築で礎盤、(出三斗の)詰組、火頭窓、波形欄間など備えた禅宗様の建築で、とりわけ軒下を疎垂木とするの洞春寺観音堂(1430年)と共通する形態をもっており、同寺から移築してきたという来歴を伝えている。

元興寺(元興寺極楽坊)

建立:1244年改築(本堂) 鎌倉時代前期(禅室)など   所在:奈良県奈良市中院町

国内最古の本格的仏教寺院である飛鳥寺にルーツをもつ東大寺・興福寺に並ぶ寺院で、中世以降の衰退により子院・極楽坊が受け継がれて今日に及んでいる。元は1つであった僧房を隔てて改築して本堂・禅室としており、本堂が寄棟造妻入で中央に柱が建つ形態をもつのはこのためである。本堂に飛鳥~奈良時代の瓦、禅室には法隆寺西院伽藍より古い木材の使用が伝わり、建材のもつ歴史にも当寺の格式が認められよう。

ルネスホール(旧日本銀行岡山支店)

設計:長野宇平治  竣工:1922年   所在:岡山県岡山市北区内山下

壮麗な様式建築の手腕で名を馳せた長野宇平治が全国各地に手掛けた日本銀行支店の1つ。コリント式オーダーを並べエンタブラチュア・ペディメントを載せた奥行の浅いポルティコを配したグリーク・リヴァイバルを基調とした歴史主義建築である。営業室を多目的ホール、公文書庫をカフェなどへ転じて文化振興に資する施設となり継承されている。保存にあたって施されたホール内の耐震補強の造作にも注目したい。

長府毛利邸

竣工:1903年   所在:山口県下関市長府惣社町

最後の長府藩藩主であった毛利元敏が東京からの帰住にあたって建てた近代和風建築の邸宅である。表玄関から2つの殿舎を雁行に配置し、北側に備えた渡廊下で中庭を囲む形態をもつ。玄関脇の書院に面して築地塀で囲んだ露地、そして後方の殿舎(御座所?)に面して芝庭を取り合わせた池泉庭園をそれぞれ築いており、殿舎に合わせて性格を違える庭園をあしらうという他所にあまり見られない珍しい構成を採っている。

竹林寺書院

建立:1816年   所在:高知県高知市五台山3577

五台山の山麓に建ち四国八十八箇所霊場の1つに数えられる竹林寺の書院で、藩主参詣の際における客殿として建てられたという。書院造の殿舎を彷彿とさせる唐破風を備えた格式高い玄関を構えるが、書院は2列3室の平面構成をもち、四方に幅1間半の広縁を巡らせて座視鑑賞の池泉庭園に面する形態は、中門廊としない玄関の形態こそ明らかな差異を認めるが、中世に成立した方丈建築に通じる古式の形状を残している。

旧青木家那須別邸

設計:松ヶ崎萬長  竣工:1888年(中央棟)、1910年(東西棟)   所在:栃⽊県那須塩原市⻘⽊

青木周蔵が那須野ヶ原に拓いた「青木農場」に建てた別荘。中央棟は青木の協力も得てドイツに学んだ最初期の日本人建築家の1人である松ヶ崎萬長の国内唯一の現存作品であり、後に東西棟が増築されている。アメリカに散見するシングル・スタイルを採るが、榑板でなく人造スレートを用いており、また、中央階段上のアーチを伴った吊り束も木造ならではといえる造作で、軽重を巧みに操作した設計は実に巧妙といえる。

大隈重信記念館

設計:今井兼次  竣工:1966年   所在:佐賀県佐賀市水ヶ江2丁目

明治日本を牽引した政治家・大隈重信の事績を顕彰するため生家(国史跡)脇に建てられた記念館で、大隈が早稲田大学の創立者である縁から同大名誉教授・今井兼次が設計にあたった。一見シンプルに映る箱型の形状でありながら、A.ガウディを彷彿とさせる今井特有の優美な曲線と曲面を描いた造形をなし、色ガラスによる鮮やかな色彩にあふれた内部空間が醸成された情緒豊かな建築である。

旧ウォーカー住宅

竣工:明治時代中期   所在:長崎県長崎市南山手町8丁目(グラバー園内)

元々は大浦天主堂の近くに建てられたと伝わる漆喰塗とアメリカ式下見板張を併用したコロニアル様式の瀟洒な洋風住宅で、大正時代に貿易会社を営んだR.ウォーカー.Jrが取得して没するまで暮らした住まいをグラバー園内に移築保存したものである。コロニアル様式の特徴を示すベランダのほか、南面に腰壁にドイツ壁をあしらった2つ並びとしたベイウィンドウが妙味あるアクセントになっている。

大分県立芸術文化短期大学図書館

設計:石原健也+西田司+一色ヒロタカ  竣工:2018年  所在:大分県大分市上野丘東1

キャンパス整備の一環で正門脇に建てられた附属図書館。華奢な柱で支持された鉄骨造の躯体にレシプロカル構造による複雑に組み合わされた木造小屋組を採り合わせることでデザインにも与し、とりわけ大きく迫り出したキャノピーに吹上抑止のため柱を木屋根下に据えることで木造架構の浮遊感がより強く表現されている。傾斜のある敷地を巧みに活かして図書館内外の連続性を考慮した平面計画も美事といえよう。

ギャラリーTOM

設計:内藤廣  竣工:1984年  所在:東京都渋谷区松濤

「視覚障碍者のための手で見るギャラリー」として開設された私設美術館。敷地形状に合わせて建ち上げた打放しコンクリートのボリュームを階段・テラスの外部空間と2層吹抜のギャラリーの内部空間に明快に構成し、ギャラリーの屋根に三角形断面をした鉄骨梁で外部空間を分割した軸線に合わせて斜めに架けている。一見して禁欲的なたたずまいを装いつつ、細部の造作に情緒豊かな包容力のある建築に魅了される。

白井屋ホテル

設計:藤本壮介  竣工(改修):2020年  所在:群馬県前橋市本町

白色タイルで覆われたハコの装いをもった従前のホテルの内部を柱梁のフレームを残しダイナミックな吹抜を内包させ、敷地を前後に縦貫しつつ留められていた動線を再編して「丘」を築き、ホテルの煙突状のボリュームをアイコンとして付属建物に纏わせてアーキテクトの作為も表出させる。一言でいえばホテルのリノベーションだが、その眼差しはモノにとどまらず、コトまでを射程に捉えたコンテクストの再編に及ぶ。

飯高寺(飯高檀林跡)

建立:1651年(講堂)、1672年頃(鐘楼)、1720年(鼓楼)など  所在:千葉県匝瑳市飯高

日蓮宗における最高位の学問所の希少な遺構である。安土桃山時代に生じ、明治時代初頭に廃されたが、飯高寺へと転じて講堂・鐘楼・鼓楼など諸建物が今日まで継承されてきた。そうした経緯より中心建物を講堂とするが、これは間口約27m・奥行約16mに及ぶ急勾配な檜皮葺の入母屋屋根を架けた大規模な堂宇であり、前方を吹き放ちにするなど客殿型本堂とも呼ばれる一般的な本堂の平面形状とは異なる特質をもつ。

旧下野煉化製造会社煉瓦窯

竣工:1890年  所在:栃木県下都賀郡野木町野木

レンガを大量焼成して日本の近代化の推進に与したホフマン式輪窯の全体の形状をよく残す全国で唯一の遺構である。下層は16室のレンガ焼成を行う窯で、上下でイギリス積・フランス積と異なる形式が採られており、現在は内部を旧状のまま見せる部分と鉄骨補強による耐震改修を見せる2通りの展示が行われている。上層は燃料の粉炭の投入口が床面に並び、中央に煙突が建つダイナミックな空間には圧倒される。

旧見付学校

設計:伊藤平右衛門(九代伊藤平左衛門)  竣工:1875年  所在:静岡県磐田市見付

横須賀城から払下げを受けた玉石垣の上に建ち、時報となる太鼓を掲げた塔屋、アーチ・上下窓の開口部、コーナーストーン状の漆喰塗、斜めに張った床板、オーダーを思わせる玄関柱など擬洋風の装いをもつ現存最古の擬洋風校舎である。出入口や階段を2か所もつのは男女で分けたためで平面構成も廊下を挟み左右に教室を置いた学制公布ほどない頃の世相が表れている。後方に建つ磐田文庫に採られた井楼造も珍しい。

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