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Pick up Archi!! - 2019

経栄山題経寺帝釈堂(柴又帝釈天帝釈堂)

建立:1915年(内殿) 1929年(拝殿)  所在:東京都葛飾区柴又7丁目

日蓮宗寺院としてはじまるが、日蓮の親刻になるという帝釈天の板本尊が見出されたことで、江戸時代後期より帝釈天を安置する御堂として多くの崇敬を集めてきた古刹である。隣に建つ本堂よりも重厚で近世社寺の特徴となる精緻な彫刻を全面に纏った帝釈堂は、仏法守護の神である帝釈天を祀るという性格から寺院建築でありながら、拝殿と内殿からなる神社社殿の権現造と同じ形式をもち、神仏習合の特質を顕著に示す希少な逸品である。

法華経寺祖師堂

建立:1678年  所在:千葉県市川市中山2丁目

日蓮宗総本山となる寺院に建つ宗祖・日蓮聖人を祀る御堂で、関東地方では数少ない大型日蓮宗仏堂の典型とされる。正面の吹き放ちとした外陣、内部は内陣と両脇に脇陣、さらに後陣を置く7間四方の規模をもつが、素木の造りであることに加えて彫刻や絵様は控えめで木割も細いことから近世建立の寺院でありながら中世の趣を残す。特徴は比翼入母屋造という屋根を連ねた構成をもつことで、全国的にも希少な寺院建築として知られている。

六華苑(旧諸戸家住宅)

設計:J.コンドル(洋館)、伊藤末次郎(和館)  竣工:1913年  所在:三重県桑名市桑名

「日本一の山林王」とも呼ばれて大きな財を成した二代・諸戸清六が建てた邸宅である。珍しく東京以外に立地するJ.コンドルの建築で、これは三菱社・岩崎家との知遇によるという。前方に建てた洋館が接客・居住の本拠で、後方に構えられた和館には接客用の座敷が並び、加えて洋館右脇に台所等の生活用の棟(建替)があった。「和洋館並列型住宅」の好例であると共に和洋館の構成に変質が見られる点で、その広がりを知る上で重要な遺構である。

兼六園

築庭:1676年  所在:石川県金沢市兼六町

日本三名園の一つとして有名な国内を代表する庭園。加賀藩4代藩主・前田綱紀が別荘「蓮池御殿」を建てて共に築いた庭園にはじまり、その歴代の藩主により手を加えられた後に12代藩主・前田斉泰によって現在の兼六園が形づくられた。なお、兼六園の名は1822(文政5)年に白河藩主・松平定信によって命名されたと伝わる。霞ヶ池を中心に苑路を巡らせた池泉回遊式庭園徽軫灯籠や日本最古の噴水、雁行橋など多彩な添景物が彩りを添えている。

旧東京音楽学校奏楽堂

設計:山口半六・久留正道  竣工:1890年  所在:東京都台東区上野公園

多くの音楽家を輩出した東京音楽学校(現・東京藝術大学音楽学部)の学舎で中央部分が移築保存されたもの。火炎太鼓の左右にハープと笙をあしらった和洋折衷の破風飾りを添えたアメリカ下見板張のルネサンス様式を下地にした洋風木造建築である。中廊下式の学舎であるが、2階に日本最古の音楽ホールとして知られる舞台・客席(310席)をもち、多数の聴衆の動線を確保するために多くの階段を備えることに平面構成上の特色が認められる。

臨江閣

竣工:1884年(本館、茶室)、1910年(別館)  所在:群馬県前橋市大手町3丁目

利根川の畔に立地することから「臨江閣」として建てられた群馬県の迎賓館。明治天皇の行幸で行在所になり、2階に御座所「一の間」を有する「本館」、京都の数寄屋大工・今井源兵衛を招いて建てた「茶室」、そして後に建てられて2階に180畳敷という大広間をもつ「別館」の3棟から構成される。吟味された良材を用い、庭園に向けてガラス引戸を連ねた透明度の高い設えや大広間に張弦梁を用いているなど、見所の豊富な近代和風建築の名作である。

旧盛岡銀行本店本館(現・岩手銀行赤レンガ館)

設計:辰野金吾・葛西萬司  竣工:1911年  所在:岩手県盛岡市中ノ橋通1丁目

盛岡の中心市街である中ノ橋通にあって、中津川に面して建つ荘重な銀行建築である。中ノ橋通に向けて敷地両隅にドームを掲げた八角形の塔と四角形の小塔を並べて、赤レンガタイルの壁に白色の花崗岩をストライプ状に配した「辰野式」のファサードである。西面・北面(背面側)はクィーン・アン様式の中世趣味的な造形も織り交ぜた外観、内部も吹抜の旧営業室を中心とした重厚でかつ格調高い建築意匠を纏う優れた歴史主義建築の逸品である。

松山城

建立:1854年(天守閣)  所在:愛媛県松山市丸之内

賤ヶ岳の七本槍の1人に数えられた大名・加藤嘉明によって1602(慶長7)年に築城がはじめられたことに遡る松山の中心部の勝山山頂建つ平山城である。小天守によりロの字型に囲まれた連立式の豪壮な形式をもつが、1933(昭和8)年の焼失を受けて戦後に再建されたものである。中でも大天守は被災を免れた江戸時代後期の建立になるもので、近世・天守閣の遺構で「現存12天守」に数えらえれる貴重な城郭建築である。

岩崎美術館・岩崎美術工芸館

設計:槇文彦  竣工:1978年・1987年  所在:鹿児島県指宿市十二町

指宿いわさきホテルに隣接する私設美術館で年代の違う2つの美術館が地下通路で繋げられて隣接する。先に建てられた美術館はグリッドを主調としたマッシブな造形で、スキップフロアで展示室が連ねられた一体感のある空間構成に大理石やタイルなどマテリアルの豊かな表現が上品なたたずまいを演出している。工芸館は同じくマッシブな造形だが、ヴォールト屋根やテラスに出る階段など造形表現に富んだ異なるキャラクターでデザインされている。

旧新潟県知事官舎(現・県知事公舎記念館)

竣工:1909年  所在:新潟県新発田市五十公野(移築保存)

かつて新潟市営所通に所在した新潟県知事官舎の遺構。和洋館を併設した「和洋館並列型住宅」の形式をもち、特に和洋館の接客空間を中心とした主要部分が移築保存されている。和洋館両方に接客空間をもち、これが正面に向かって並列した配置を採り、さらに和館の表玄関に車寄を構えて洋館と和館を明快に並列的に取り扱った構成を持つ。「和洋館並列型住宅」の系譜を辿る上でも見逃せない特徴が認められる貴重な遺構である。

台中国家歌劇院

設計:伊東豊雄  竣工:2014年  所在:台湾・台中

台中の中心街より少し離れたところに所在する台湾で2番目となる国立の音楽ホール。「エマージング・グリッド」と呼ぶカテノイドを用いた3次元曲面の壁面が内外の空間を曖昧に隔てる有機的な造形が特徴で、アメーバが増殖したような連続体(構造体)を長方形の躯体でカットしたような形状を持つ。外観はその切断面が表れた有機的造形と建築を規定する壁面が表れたに過ぎず、その内部に広がる洞窟的な空間にこそこの建築の特異性が表れている。

江川家住宅

竣工:江戸時代初期  所在:静岡県伊豆の国市韮山

江戸時代に伊豆国・駿河国・相模国・武蔵国・甲斐国の広域を管轄した代々の韮山代官・江川太郎左衛門が暮らした屋敷。組み上げられた小屋貫と小屋束による和小屋が美事である広大な土間に台所や茶の間などの床上部とで農家の平面構成の基本形式である四つ間取りに加えて、正面側に玄関や従者の詰所など別棟で接続される書院のための表向の諸室が取り次いで武家住宅の性格を併せ持つという他に類例を見ない代官屋敷特有の平面構成を持つ。

柞原八幡宮

竣工:1850年(本殿)、1870年(南大門)ほか  所在:大分県大分市大字八幡

宇佐神宮から分祀して奈良時代に創建され、豊後国一宮としての歴史をもつ厚い崇敬を集めてきた古社である。共に切妻造平入となる前殿・後殿を前後に連結した八幡造の本殿形式を伝える全国的に希少な神社建築で、宇佐神宮本殿と同形式であることにその強いつながりがあることが認められる。境内入口には南大門が構えられるが、四脚門をベースに左右に脇門、中央に唐破風を掲げて前後に突出させた珍しい形状をもつことにも注目できる。

自由学園明日館  中央棟・教室棟

設計:F.L.ライト・遠藤新 (東教室棟)  竣工:1922年・1925年 (東教室棟)  所在:東京都豊島区西池袋2丁目

キリスト教精神に基づく理想教育を実践するために羽仁吉一・もと子が設立した自由学園の校舎として建てられ、1934年に現校地に移転するまで使用された。建物高さを低く抑えた深い軒先による水平性と内部空間の連続性にF.L.ライトの初期作品に象徴的なプレーリー・スタイルの特徴がよく表れている。さらに窓枠・照明・家具などのディテールは幾何学を主調としたものとなっており、F.L.ライトらしいデザインで全体がまとめられている。

日本女子大学目白キャンパス図書館

設計:妹島和世  竣工:2019年  所在:東京都文京区目白台2丁目

創立120周年を記念して進められているキャンパス整備の一環で新たに建て替えられた図書館である。矩形形状をした控えめな造形であるが、2,3階にスラブをスロープとして螺旋状に巡らせていることで動的な造形を獲得している。細い柱の配列に加えて各面を大きなガラス開口とする透明性の高い建築であることで、斜めに掲げられた動的なスラブの造形がより強調されたデザインとなっている。

東京文化会館

設計:前川國男  竣工:1961年  所在:東京都台東区上野公園

東京開都500年の記念事業として建設された音楽ホール。上野駅に面してエントランス・楽屋口を設けて来館者と演奏者の動線を隔て、国立西洋美術館に向き合って置いたホワイエを通じて大小のホールへとアクセスする。建物全体を湾曲した庇で囲むことでホールの持つ大きなボリュームを視覚的に緩和し、エレガントな佇まいを表現している。ホワイエの夜空を思わせる照明配置や音楽資料室に通じる螺旋階段などディテールにも妙味が多い。

鎌倉文華館  鶴岡ミュージアム(旧神奈川県立近代美術館)

設計:坂倉準三  竣工:1951年  所在:神奈川県鎌倉市雪ノ下

鶴岡八幡宮境内に建つ日本で初めて建てられた公立の近代美術館である。借地契約満了の後、その歴史的価値を重んじた鶴岡八幡宮の英断によって県指定文化財に指定を受けた上で保存改修工事を実施し、1966年に増築された新館を除いて旧本館のみへと改める形をもって新たなスタートを切ることとなった。とりわけ大谷石を積み上げた1階部分は中庭に加えて源平池に面したテラスも配されており、美術館には珍しい開放的な造りとなっている。

賓日館(二見館別館)

設計:大江新太郎・塩野庄四郎(増築)  竣工:1887年  所在:三重県伊勢市二見町茶屋

伊勢神宮の正式参拝の垢離場である二見浦にあって、多くの皇族が滞在された神宮賓客の休憩・宿泊施設となってきた由緒ある旅館建築である。御殿の間や能舞台を構えた大広間など書院造を基調とした拡張高い諸室が並ぶほか、階段や欄間に見られる精緻な造作や屋久杉・桜・サルスベリ・亀甲竹…と吟味された多様な銘木が彩る数寄屋風書院としての趣を併せ持つ。和風の妙味が尽くされた近代和風建築の名品である。

日本橋高島屋

設計:高橋貞太郎/村野藤吾 (増築)  竣工:1933年  所在:東京都中央区日本橋2丁目

日本橋近くに建つ歴史と格式をもつ百貨店建築である。簡略化された歴史主義建築のプロポーションにアール・デコ調の幾何学装飾と軒裏の扇垂木を思わせる和風意匠を併せ持つ昭和戦前期らしい建築意匠を纏い、また内部にも大理石張りの列柱がならぶ精緻な装飾をまとった2層吹抜の格調高い空間が広がる。戦後には4期に及んで増築が行われており、新旧の意匠が巧みに取り合わされて破綻なく全体が纏められている絶妙なバランスに注目したい。

旧長岡家住宅

竣工:1735年  所在:徳島県美馬市脇町大字猪尻

「うだつの町並」(脇町南町伝建地区)に近い高台に建つ古民家で、大谷川上流の山腹にあったものを現在地に移築している。寄棟造の長方形平面形状をした直家の農家建築で、少雨である讃岐地方に特有という大壁で囲った閉鎖的な造りとする。ドマとナカノマ・オモテの床上部からなり、オモテには床の間を構えるなど接客用の設えを持つものの、広間型平面で礎石建とするなど全体的には中世の農家建築に性格が近い古式の民家形式を伝えている。

旧山本条太郎別荘(現・神霊教鎌倉錬成場霊源閣)

設計:笛吹嘉三郎  竣工:1918年  所在:神奈川県鎌倉市長谷

衆議院議員で満州鉄道総裁を務めた山本条太郎が鎌倉に建てた別邸。表千家出入りの数寄屋大工・平井家で修行した笛吹嘉三郎の設計になる数寄屋風書院の邸宅にして、敷地の高低差を巧みに活かして玄関から大階段でアプローチするダイナミックな構成や北山杉を中心とした吟味された良材の使用など随所に優れた意匠と技巧を見せる。客間・茶室の接客空間は京間の内法制、台所・女中室など生活空間は江戸間の心々制と設計寸法の使い分けに注目できる。

小石川後楽園

作庭:徳大寺左兵衛  築庭:1629年  所在:東京都文京区後楽1丁目

水戸藩初代藩主・徳川頼房の命で水戸徳川家上屋敷に築かせた庭園で、大泉水を中心に苑路を巡らせた回遊式池泉庭園である。2代藩主・徳川光圀により改修され、このとき明の遺臣・朱舜水が築庭に携わったこともあって、円月橋や西湖堤など中国的・儒教的な趣を併せ持つ庭園となっている。明治時代には東京砲兵工廠の一部として陸軍省敷地になったが、1874 (明治7) 年に明治天皇の行幸を受けて以来、国内有数の名園として知られるようになった。

カトリック新潟教会

設計:マックス・ヒンデル  竣工:1927年  所在:新潟県新潟市中央区東大畑通

カトリック新潟教区の中心を担う司教座聖堂である。アプスを西方に構え、東面する正面に双塔を配したバシリカ形式のオーソドックスな教会堂で、半円アーチ・アーキヴォールトアーチ・側面に並ぶバットレスなどからロマネスク様式を基調とする建築意匠をもつ。壁厚から木造と思われるが、これにより本来は石造になる重厚なたたずまいは軽やかさを併せ持ち、開口部を広くあけて採光豊かな内部空間が実現されている。

笠間の家

設計:伊東豊雄  竣工:1981年 / 2013年改修  所在:茨城県笠間市下市毛

元々は陶芸家・里中英人(1932-1989)のアトリエ兼住居。一方を切妻屋根とした「家型」のボリュームとして街路に面してのばし、もう一方を生活空間とアトリエを積層して高台の地の眺望の良さを活かした湾曲した片流れ屋根とするY字型の平面形状を持つ街路に面して閉じたマッシブな造形がアイコン的な装いを纏うモダンな佇まいが印象深い住宅である。現在は笠間市に寄贈され、カフェやギャラリーなど多目的に利用できる施設となっている。

旧前田家本邸

設計:塚本靖・高橋貞太郎・佐々木岩次郎  竣工:1930年  所在:東京都目黒区駒場4丁目

加賀藩主の系譜をもつ名家・前田家が昭和戦前期に建てて暮らした邸宅。明治から昭和戦前期の上流階級の住宅に多い「和洋館並列型住宅」が採られるが、接客・居住を洋館で行い、接客用の和館を渡廊下でもって接続し、併設する構成とする。同形式になる邸宅で一般的な構成から役割が逆となった国内でも唯一といえる希少な事例であり、近代日本における住宅の近代化(洋風化)の1つの到達点を示す極めて貴重な文化遺産である。

上野動物園の歴史的建造物

竣工:1639年 [ 旧寛永寺五重塔 ] / 寛永年間 [ 閑々亭 ] / 1931年 [ 旧正門 ]  所在:東京都台東区上野公園

恩賜上野動物は1882(明治15)年に開園した国内最古の歴史を誇る。園内には、東京都美術館側にたたずんでエントランスが現在と違えていたことを伝える1931(昭和6)年に建てられた旧正門、さらに寛永年間に藤堂高虎が建てた茶室を1878(明治11)年に再建したと伝わる閑々亭や1639(寛永16)年建立の旧寛永寺五重塔があり、ここが江戸時代までにおいて寛永寺の旧境内地であったことを今に伝える歴史的遺構の姿を見ることができる。

仙北市角館伝統的建造物群保存地区

町並建設:1620年  所在:秋田県仙北市角館町

江戸時代に角館を治めた大名・蘆名義広が、狭く水害・火災の多い角館城北側より移転して築いた町並に遡る歴史をもつ。今日に重要伝統的建造物保存地区に選定されているのが「内町」で、武家の居住区であった面影が長大に続く板塀や門、そして武家住宅の遺構にその風情が認められる。一方、商家が並んだ「外町」にも町家や看板建築、洋風住宅まで歴史的建造物が点在しており、「内町」とは異なる町並の風景が広がっている。

群馬県庁舎(現・群馬県庁昭和庁舎)

設計:佐藤功一  竣工:1928年  所在:群馬県前橋市大手町

群馬県にとって2代目の県庁舎である。スクラッチタイルを張ったドリス式オーダーのピラスターを並べ、エンタブラチュアを軒下に取り回したネオ・バロック様式のプロポーションを基調としながらもこれを簡略化した昭和戦前期に多いフリークラシックに類される建築意匠を纏う。隣に議会堂があっためE型プランとした当時の県庁舎としても小規模なもので、背面側は創建時のままでありながら、まるで後方躯体を取り除いたような簡素な装いをもつ。

鹿島神宮

建立:1634年(楼門)  1619年(社殿)  1605年(奥宮)  所在:茨城県鹿嶋市宮中

全国に所在する鹿島神社の総本社で歴代の武家政権から武神として崇められた由緒から、境内建物は多く徳川家との所縁をもつ。社殿は江戸幕府2代将軍・徳川秀忠の寄進によるもので、本殿は近世初期特有の極彩色で鮮やかに彩られた3間社流造とする。奥宮は徳川家康が関ケ原戦勝を機に寄進した旧本殿で、現本殿の建立に合わせて遷したもので、同じ3間社流造だが彩色・彫刻を纏わない簡素なたたずまいをもつ差異に世相の移ろいを見て取れよう。

旧朝香宮邸(現・東京都庭園美術館本館)

設計:宮内省内匠寮(権藤要吉)、アンリ・ラパン(室内装飾)  竣工:1933年  所在:東京都港区白金台

朝香宮鳩彦王が1925年パリ万博で感銘を受けたアール・デコ装飾をフランス人芸術家・H.ラパンを登用して全面的にインテリアに用いた皇族邸宅。建築設計は権藤要吉を中心とした宮内省内匠寮が担い、外観もインターナショナル・スタイル(モダニズム)になる最新の潮流を採り入れている。接客・生活はここで営まれたが、竣工時は西側に渡廊下で使用人の和館が接続した「和洋館並列型住宅」であり、昭和戦前期の世相が顕著に表れた邸宅であった。

東大寺南大門

勧進:俊乗坊重源  建立:1199年  所在:奈良県奈良市雑司町

平安時代末期の南都焼討からの復興にて建てられた東大寺伽藍の正面中央に位置する5間3戸の楼門。造東大寺勧進職・重源が宋の建築様式を用いたという挿肘木を重ねた六手先組物や多層に横貫する貫による構造美、地垂木の四隅を扇垂木とし端先に鼻隠板を備えるなどの特徴を備え、今日に「大仏様」と呼ばれる。戦国期の争乱で東大寺伽藍の大半が焼失してきたことから、中世寺院建築の代表的遺構として高名である。

養翠園庭園

築庭:文政年間  所在:和歌山県和歌山市西浜

紀州徳川家10代藩主・徳川治實が隠居所・西浜御殿の賓客を歓待する場として築いた庭園で、園内には御茶屋「養翠亭」を置く。周囲の山並みを借景とした回遊式池泉庭園だが、中央の大きな池は西浦湾より汐入としたもので、浜離宮庭園と同様の特質を有する。池に浮かぶ守護神島には三ツ橋・太鼓橋で繋がれ、後楽園庭園(東京)と同様の西湖を模したという中国的手法を併用した特徴的な庭園が築かれている。

旧米子市庁舎(現・米子市立山陰歴史館)

設計:佐藤功一・増戸憲雄  竣工:1930年  所在:鳥取県米子市中町

市制を敷いてほどなく初代庁舎(旧町役場)が焼失したために建てられた2代目市庁舎。ジャイアント・オーダーのピラスターを並べたネオ・バロック様式を基調とした歴史主義建築で、左右対称形が一般的な庁舎建築にあって珍しいL字型のプランをもつ。3代目となる現市庁舎建設の後に博物館へと転用されて現在に至るが、1階展示室や中央階段、3階廊下(非公開)などに庁舎創建時のインテリアの痕跡が見て取れる。

日光市今市文化会館(旧名称:今市市文化会館)

設計:神谷五男  竣工:1977年  所在:栃木県日光市平ケ崎

合併前の今市市の頃に建てられた文化会館。緩やかな階段で2階ホワイエへと至るアプローチはまるで巨大生物に対峙するようなダイナミックな造形をもつ。フライタワーを挟む排気塔やテラスに接続する階段、左右壁面にアーチ状に穿たれた開口部など曲線・曲面を用いたディテールを併せ持つことで有機的な装いを纏う。さしずめ「東の都城市民会館」だが…改修か建替を検討中だけに同じ途にならないことを望みたい。

東京都住宅公社中野駅前住宅

竣工:1951-52年  所在:東京都中野区中野2丁目

JR中野駅南口に近いところに戦後ほどなく構えられたRC造集合住宅。階段室を挟み2Kの住戸が4層に積層されて1棟あたり32戸からなる板状住棟が並んでいる。住戸内は壁や梁の隅部を湾曲させて柔らかい表情を持たせており、カーテンレールやベランダに浴室を増築しているなどの造作に終戦直後の集合住宅での生活スタイルの様相が読み取れる。住棟の入口をスクラッチタイルで縁取るディテールも妙味があって好ましい。

金沢工業大学1号館(現・金沢工業大学本館)

設計:大谷幸夫  竣工:1969年  所在:石川県野々市市扇が丘

大学設立よりほどなく建てられた「顔」となる学舎である。高さを段階的に違えた床面を階段で接続したホールを中心として教室・大学事務・研究室にアクセスするよう計画し、ここにハイサイドライトからの豊かな光が降り注ぐ。雪の多い気候風土に適応するように学舎内に学生らが留まる場を多く設け、学生運動で対立が深まっていた社会背景の中で大学と教員と学生の一体性を望んだ大学の「精神」すら表象している。

旧丸井今井呉服店函館支店(現・函館市地域交流まちづくりセンター)

竣工:1923年(1930年増築)  所在:北海道函館市末広町

函館の歴史的建造物が数多く残る一画に百貨店として建てられた遺構。ドームを掲げて隅部を出入口とするL字型をした建築として、バロック様式のプロポーションを基調に古典的装飾に依らない装飾を付した「近世復興式」の意匠をもつ。後年に営業面積拡大のために後方部分を増築して現在の形状に及んでいるが、増築時に設けたエレベーターが現存するなど、内外にわたって良好な保存状態が保たれている。

旧香港上海銀行長崎支店(現・長崎市旧香港上海銀行長崎支店記念館)

設計:下田菊太郎  竣工:1904年  所在:長崎県長崎市松が枝町

イギリス植民地下の香港で創業された香港上海銀行の長崎支店として建てられた建築で、古典的な3層構成の中央2層をコンポジット式のジャイアントオーダーが貫いて、エンタブラチュアとペディメントを重ねたネオ・バロックを基調としつつパッラーディアニズムも掛け合わせた歴史主義建築の意匠で纏められている。自他共に認めるところであった異色の建築家・下田菊太郎の作風を今に伝える希少な建築作品である。

別府市公会堂

設計:吉田鉄郎  竣工:1928年  所在:大分県別府市上田の湯町

大講堂を中心に規模の異なる複数の食堂や遊戯室などからなる市制施行を記念して建てられた公会堂。バシリカ式教会堂の前方にエントランスのボリュームを加えたようなプロポーションになる中世趣味を下地にしたデザインはナショナル・ロマンティシズムの影響によるという。外装に色調の異なるスクラッチタイル、建築上部に吉田鉄郎の建築に散見できるパラボラアーチ状の小窓を用いるなどディテールも妙味深い。

都城市民会館

設計:菊竹清訓  竣工:1966年 / 解体:2019年  所在:宮崎県都城市八幡町

扇状に広げられたトラスフレームによりホールの屋根を吊り下げるというダイナミックな構造形式を採ることで織り成されたインパクトあるファサードをもつ。下部躯体をRC造で構築して、これを永続的部分とし、上部構造は社会や技術の変化に応じて取り替えられていくというメタボリズムの思想が強く投影された代表作として広く知られてきた。保存を求める声も多かったが、ついに解体されるに及んでしまった…

ヒルサイドテラス

設計:槇文彦  竣工:1969-1998年  所在:東京都渋谷区猿楽町・鉢山町

代官山駅にほど近い旧山手通り沿いに連なった集合住宅・店舗・オフィスなどからなる複合施設。建築家・槇文彦がメタボリズム・グループで提唱した「群造形(グループフォーム)」の理念を実践したもので、30年の歳月をかけて建て加えられて今日の姿に及んでいる。複数の建物の隙間に街路から引き込むように、かつ敷地の高低差も巧みに活かして中庭や路地を組み入れることで他にない豊かな都市空間を実現している。

黒石市中町重要伝統的建造物保存地区

開町:1656年以降  所在:青森県黒石市大字中町

津軽信英が黒石津軽家を創始して以来、黒石城下の商家町として栄えた。高橋家住宅(江戸時代中期/国重文)をはじめとした金属板葺・切妻造妻入の町家・土蔵が軒を並べ、全国的に平入が多いことに比して山形状の断続的な町並景観となっている。町並の連なりに与しているのが今日にいうアーケードで、当地で「こみせ」と呼ぶ張り出した庇が連続することで雪国ならではの伝統的かつ特徴的な風景が織り成されている。

千葉県立中央図書館

設計:大髙正人+木村俊彦  竣工:1968年  所在:千葉県千葉市中央区市場町

「千葉文化の森」を構成する図書館で、文化会館・聖賢堂との間を複層的に通す「エスプラナード」で敷地と建築群が高密に結合されたメタボリズムの「群造形」を実践したもの。プレキャスト・プレストレストコンクリートにより構造・生産・施工・機能・意匠などを高い水準で統合化した「プレグリッド・システム」と呼んだ世界的にも稀な構造システムをもって建てられた極めて希少かつ貴重な歴史・文化資産である。

デ・ラランデ邸

設計:北尾次郎+デ・ラランデ  竣工:1910年頃  所在:東京都小金井市桜町(江戸東京たてもの園)

かつて新宿区信濃町に所在したドイツ人建築家・デ・ラランデが住んだ西洋館である。アメリカ式下見板張の1階部分は気象・物理学者の北尾次郎が設計して建てたと伝わり、これを取得したデ・ラランデがスレート葺による2,3階を増築ないし内部改修を行ったという。ギャンブレル屋根による特徴的な意匠もさることながらアーツアンドクラフツ調の内装になる1階食堂など内部意匠にも見どころが多い。

玉陵

築造:1501年  所在:沖縄県那覇市首里金城町

先頃焼失してしまったた首里城近くに所在する琉球第二尚王統の王陵で、初代尚円王を移送するために築かれた。間口4m・奥行5mを石牆で囲み、その中央を石牆で前後に「外庭」「内庭」に隔てる。「内庭」に東室・中室・西室の墓室が並ぶが、いずれも切石積の壁を築き、切妻造の屋根を架けた破風墓の形式とする。精緻な石積の素晴らしさもさることながら、棟の装飾や石獅子の彫刻などにも見どころが多い。

聖賢堂(千葉県文化会館会議室)

設計:大髙正人  竣工:1967年  所在:千葉県千葉市中央区市場町

隣接する千葉県文化会館と共に建てられた「千葉文化の森」を構成する建築の1つである。現在は会議室として使用されているが、創建当初は結婚式場として建てられたところに往時の社会世情をうかがわせる。ワッフルスラブによって剛性を高めることで上下階の柱位置を違える意欲的な構造形態をもち、これによりエントランスホールを兼ねたロビーの造形的な内部空間が演出されている。

秋田市立体育館

設計:渡辺豊和  竣工:1994年  所在:秋田県秋田市八橋本町

秋田の公共建築が立ち並ぶエリアに建つ市立体育館である。メインアリーナとサブアリーナ(下階に卓球室・多目的ホールを内包)の2棟を接続するが、これらはまるで騎士の兜を思わせる印象的な出で立ちである。打放コンクリート仕上げの重厚なたたずまいに尖塔、壁柱で立ち上げられた回廊、馬蹄形アーチの並ぶ通路、過剰に湾曲した壁面など豊かな装飾を纏ったポストモダン建築の末期に現れた「怪作」である。

旧東京医学校本館(東京大学総合研究博物館小石川分館)

設計:林忠恕  竣工:1876年・1969年(移築)  所在:東京都文京区白山

1868年に江戸幕府・医学所を接収して設立した御徒町より移転して本郷に建設された東京大学医学部の前身となる建築で、戦後に小石川植物園内に移築保存された同大学最古の遺構。屋根に塔を載せ、ポルティコに桐の透欄間・菊の肘木を入れ、開口部にペディメントらしき造形を併せ持つ擬洋風建築で、内部は一部小屋裏を露出させ、梁を切断して階段を挿入するなど大胆でかつバランスのとれた保存改修が行われている。

倉敷国際ホテル

設計:浦辺鎮太郎  竣工:1963年  所在:岡山県倉敷市中央

大通りに面する美観地区にも近い立地に建てられたホテルである。コンテクストでは大きなボリュームをもつが、伝統的な家並の屋根勾配を思わせる傾斜させた壁面を各層に巡らせることで視覚的な緩和を図り、かつタイルや吹抜の天井・手摺などディテールに用いた素材が親和させるものとなっている。本作に見られる「国際」に表現しようとした本質と「継承するための創造」ともいうべき理念には学ぶことが多い。

東京都文京区立元町公園

設計:東京市(井下清)  竣工:1930年  所在:東京都文京区本郷

関東大震災(1923年)の復興の一環で東京各所に設けられた「復興公園」の唯一といってよい現存事例である。木々に囲まれた広場が火災避難に対して効果的であった教訓を活かした設計となり、かつ神田川沿いの傾斜地を巧みに取り入れてステップフロアのような段状の構成をもつ。壁泉・水路をもつ階段や鷹を象った彫像、南と西にパーゴラを複数備えるなど独特かつ豊かな造形性に見るべきところは多い。

中銀カプセルタワービル

設計:黒川紀章  竣工:1972年  所在:東京都中央区銀座

戦後に郊外宅地開発が広がる中で都心にミニマムに住まうことを階段・EV・配管等を内包したコアの周囲に奥行4.1m×間口2.6mの狭小のカプセル(住居ユニット)を配列・積層することで実現した集合住宅である。カプセルを交換し、都市に対して有機的に可変する「メタボリズム」の理念を実践した象徴的存在で、長く存廃が紛糾されてきたが、分譲であることを逆手にとって所有者の団結力で保存・再生を目指している。

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